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放射線影響研究所用語集

フランシス(Francis)委員会

ヒトに対する放射線晩発影響について、未解決の問題に解答を出すには数十年を要するであろうという学会の一致した見解があったにもかかわらず、1950年代に入って、原爆傷害調査委員会(ABCC)の調査プログラムを継続する意味がはたしてあるのかという深刻な疑問が投げかけられました。

この疑問に答えようと米国学術会議の R. Keith Cannan 医科学部長は、1955年10月、ABCCの研究構想を検討するために学士院−学術会議の顧問を招集しました。この会議を発端として、固定集団を基盤とする「統合研究計画」を策定すべきであるという勧告が出されました。すなわち、ミシガン大学疫学教授Thomas Francis Jrを委員長とするABCCプログラム再評価特別委員会が設立され、フランシス委員会の勧告を基にABCC−放影研のその後の調査プログラムが決められたわけです。(K. Joji 「深まった日米の理解」RERF Update 3[3]:8, 1991より抜粋)

ABCCが開設された頃は、H.J. Muller らの研究から、遺伝調査が重要であり、放射線の突然変異誘発効果のひとつとして先天奇形が増加するのではないかということが分かっていましたが、身体への影響についてはほとんど分かっていませんでした。放射線被ばくにより寿命が縮まるという報告が出されていて、加齢が促進されるのではないかという仮説(のちに放棄)が生まれました。このような状況下でABCCの臨床調査は明確な目標なしに開始され、その結果、研究者はそれぞれ独自の研究計画を立案していました。米国からの医師の赴任期間は、2、3の例外を除いて2年間であり、各々独自の研究構想を持っていたので、観察調査の計画はたびたび変更され、特定の集団を設定するという考えは定着しませんでした。

フランシス報告書(1955年)では継続性の重要さが強調されていました。そこで重要となるのは、被爆者および非被爆者からなる明確に定義された固定集団を設定し、それを基盤に疾病の罹患率や経時的変化を追跡調査することです。ABCC所長の Darling博士 はフランシス委員会の勧告を真摯に受け止め、内科部長や病理部長が変わるたびに、彼らの考えでプログラムが変更されてはならないと頑強に主張しました。(S. Jablon 「15年間の変化を見届けたDarling所長」RERF Update 3[1]:5-7, 1991より抜粋)

米国および広島で数回の会議を経て、覚書(「フランシス報告書」と呼ぶ)が、委員長からCannan部長へ1955年11月6日に提出されました。この勧告事項は1955年11月27日、米国学士院−学術会議によって招集された特別会議において原則的に承認されました。
フランシス委員会メンバー
Thomas Francis Jr. 委員長  ミシガン大学疫学教授
Seymour Jablon 米国学士院−学術会議医学統計調査室
Felix E. Moore 米国国立衛生研究所心臓研究所
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