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解説・総説シリーズ(CR) 2-96

放射線影響研究所調査プログラムの歴史的経緯、1946−1995年

Abrahamson S
編集者注:放影研の資金拠出機関により選ばれた 9名からなる国際的な臨時検討委員会(ブルーリボン委員会)が 1996年2月5−7日に広島の研究所で、また同年 2月8日に長崎の研究所で開催されました。この文書は、ABCC−放影研の調査研究プログラムの発展過程をまとめたもので、この委員会のために作成されました。
目 次
要約

ABCC−放影研では広島・長崎の原爆被爆者における放射線の影響を明らかにするため、これまで 約50年にわたり調査を行ってきた。この大集団が経験したさまざまの量の放射線被ばく(1回の急性電離放射線被ばく)によって生じる生物学的後影響を調べるため、いろいろな面から研究努力が傾注されてきた。このような調査研究から得られた結果は、被爆者の健康リスクについて信頼できる情報を提供し、被爆者への保健医療サービスの基礎ともなっている。

進行中の放影研調査研究は、電離放射線がヒトに及ぼす影響について正しい理解を与えてくれると同時に、職業上および医療上の放射線被ばくおよび一般集団の放射線被ばくのリスクを推定し、安全基準を設定するために不可欠である。この時期に、放影研の調査研究が更にどのような貢献をすることができるか、また、もし必要であるなら、放影研の将来にどのような変更が必要なのかを問うことは妥当である。

放影研ががんの調査を継続することは大切である。その理由は、1)特に低線量におけるがんの線量反応曲線の形状について更に強力な証拠を得る。 2)寿命調査(LSS)および成人健康調査(AHS)集団の、おそらく最も放射線の影響を受けやすい若年被爆者集団における放射線被ばくの発がん性および非発がん性影響について情報を得る。 3)放射線誘発影響を修飾し得る生物学的因子(遺伝的因子を含む)および環境因子について情報を得る。 4)がん以外の疾患による過剰死亡の性状を明らかにする。

分子生物学の著しい進歩により、幾つかの新しい技法が開発されている。これらは、更に発展が予想されており、いずれはヒトDNAのヌクレオチド塩基レベルにおける突然変異探知を可能にすると思われる。このような技術は現在ヒト突然変異率の推定に利用されつつあるので、被爆者、非被爆者およびその子供の血液細胞を保存する努力がなされている。これらの細胞は、突然変異探知の新しい分子学的方法が、適切な費用で調査できるようになった時に使用できるよう、Epstein-Barrウィルスを用いて無限増殖能力を与えられた後、培養され、保存されている。

この分子生物学的技法は同時に被爆者の体細胞調査にも用いられており、これにより突然変異率、がん化に至る遺伝的変化の特徴、および免疫反応力の変化が研究されている。

体細胞における染色体変化や突然変異、歯の電子スピン共鳴法などの測定に基づく生物学的線量評価は、DS86線量よりも、「真の」線量推定値とは何かについて重要な情報を与えており、DS86には修正が必要な部分もあることを示唆している。

現在の財政事情を考慮しつつ、重要と考えられる調査を実施するためには、調査の優先順位を定め、ある特定の調査活動についてはその方向を修正し、かつ、専門的知識・技術を持った職員を採用する必要がある。

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背景

1945年当時、広島・長崎の住民は、おそらく戦時日本に典型的であったように不均一な集団により構成されていたと思われる。同年8月に原子爆弾が両市に投下された。両市の物理的被害は熱、爆風および火災によって引き起こされた。長崎に投下された爆弾のエネルギーは広島のものよりも大きかったが、地形および建造物の分布の違いにより広島の方が全焼地域は広かった。

被爆後の混乱のため、正確な死傷者数は明らかでない。推定死亡者数は広島で 90,000−140,000人、長崎で 60,000−80,000人である。当時、両市共に戦争のため人々の移動が激しく、特に広島では、比較的多数の軍人が駐留しており、被爆時の両市の正確な人口は不明である。死傷者数については種々の推定値があるが、誤差がかなり大きい。

1946年11月にハリー  トルーマン(Harry Truman)米国大統領は、原爆放射線被ばくの健康に及ぼす影響について長期的調査を米国学士院−学術会議(NAS−NRC)が着手すべきであるとの提案を承認した。エネルギー省(DOE)の前身である米国原子力委員会(AEC)の資金提供を受け、NAS−NRCは1947年3月に原爆傷害調査委員会(ABCC)を設立し、1948年に調査が開始された。日本国政府は国立予防衛生研究所を通じてこの調査プログラムに参加した。

1975年に財団法人  放射線影響研究所(放影研)が設立され、ABCCの活動を引き継いだ。放影研の正式な設立目的は以下のとおりである。
平和目的の下に、放射線の人に及ぼす医学的影響を調査研究し、原子爆弾被爆者の健康保持及び福祉に貢献するとともに、人類の保健の向上に寄与する。
この法人の運営資金は、日本は厚生省を通じて、また米国はエネルギー省との契約により米国学士院を通じて均等に分担されている。このようにして、被爆者における健康影響についての長期的調査が継続されている。

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放影研の運営


放射線影響研究所は 日本人5名、米国人5名の 合計10名の理事から成る理事会により運営されている。放影研は日常的に 日米2名ずつ、合計4名の常勤理事(3名は広島、1名は長崎に在住)により運営されている。常勤理事は、理事長、副理事長、研究担当理事および理事、各1名であり、それぞれ特定の放影研活動の監督を担当している。

広島・長崎の研究所において、疫学、統計学および臨床医学分野での調査研究ならびに実験的研究が実施されている。両研究所の運営は常勤理事全員から成る放影研役員会が担当し、各研究所での調査研究活動は研究担当理事により調整されている。毎年開かれる専門評議員会(調査研究活動に関する3日間の会議)によって、調査研究計画の検討、進行中の調査研究の妥当性および学術的な質についての勧告、ならびに将来の調査方向についての提案が、理事会に提出される。専門評議員会は、日米5名ずつの、放影研に関連した研究分野の専門家 10名により構成されている。更に、実施可能と思われる調査研究プログラムの方法に関して、外部の専門家の助言を得るため、特定の研究分野におけるワークショップを時々開催している。

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調査プログラムの目標


他に類例のない放射線被ばく者集団の長期追跡調査は、放射線被ばくの健康に及ぼす初期の影響および後影響について重要な情報を提供してきた。放影研はその任務を整然と、また学術的に欠陥のない形で遂行し、その設立目的を完遂するために、以下の活動をその目標としている。
  • 電離放射線被ばくにより人体に生じた体細胞性および遺伝性後影響を究明する。
  • 電離放射線被ばくに起因するがん発生の経時的パターンおよび発がん影響を修飾する可能性のある生物学的因子および環境因子の役割について情報を得る。
上記目標を遂行するための計画は、以下の調査研究目的として示される。
  • 被爆者および非被爆者の固定集団について長期的疫学調査を実施することにより、放射線被ばくに起因する罹患および死亡と被ばく線量との関係を明らかにし、種々の組織の異なる感受性について情報を得る。
  • 特定の組織または臓器に発生したがんの臓器別および症例−対照研究を実施し、傷害を受けた細胞の種類および修飾因子の影響を同定する。
  • 分子・細胞生物学的研究により、体細胞突然変異、細胞遺伝学的変化、細胞の悪性形質転換、免疫能の変化、およびその他の生物学的変化を明らかにして、放射線リスク推定に役立てると共に、生物学的線量計としての利用を検討する。
  • 感度がよく、膨大な費用を必要としないすべての方法を用いて、被爆者および非被爆者の子供における突然変異を究明する。
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調査計画


新生児の遺伝学的調査が 1948年にABCCで正式に開始された。この調査では、すべての新生児の出生時の障害およびその他の身体的状態、性、出生時体重、新生児期の死亡などについて調査が行われ、そのうちの一部については 9カ月目に再調査が行われた。これらの遺伝学的調査では、最終的に 80,000人以上の新生児について調査が行われた。この主要な臨床調査は、1954年に、これ以上の重要な所見は期待できないとみなされ終了した。この歴史的経緯に関する記述の後半で述べるように、このようにして設定された初期の遺伝学的調査集団が、被爆者の子供(F1)の最初の疫学的調査集団の基盤となった。

ABCC調査プログラムの最初の10年間においては、被爆者および胎内被爆者についての調査は一貫性がなく、各研究者が自分の調査集団を設定して行われた。

ABCC−放影研の目標を達成するための長期疫学調査を成功裡に実施するためには、被爆者集団と、それに合わせて選ばれた非被爆者の比較集団を用いて、継続的かつ計画的にデータを収集する必要がある。調査結果の解釈に影響を及ぼす偏りやあいまいさが生ずる可能性を少なくするために、系統的に、また疫学的に欠陥がないようにデータを収集することも必要であった。

ABCC調査の性格および組織自体の将来性についてこのような懸念が生じたため、1955年にフランシス(Francis)委員会が設立された。以下に述べる通り、フランシス委員会の勧告に従って、ABCC−放影研調査プログラムの確固とした基盤が築かれた。1975年には、放影研の設立に関連して、ABCC調査プログラムについての2回目の重要な検討がクロウ(Crow)委員会により行われた。これらの委員会の勧告は、ABCCおよび放影研における進行中の調査研究に大きな影響を与えた。米国学士院(NAS)主導で行われたこれらの検討に従って、調査プログラムは勧告どおり大幅に方向修正され、強化された。いずれの場合も委員会による検討は、ABCC−放影研の研究者の士気に良い影響を与えた。

フランシス(Francis)委員会報告(1955年11月)


米国での準備会議に引き続いて、フランシス委員会 は 1955年10月20日から 同年11月9日まで広島・長崎で会議を開き、調査活動を慎重に検討した。その報告書は同年11月に完成した。

フランシス委員会は、固定集団の設定を必要とする3つの基盤研究計画を中心とした統合研究計画の作成を強く勧告した。この固定集団とは、死因調査のための寿命調査(LSS)集団、臨床調査のための成人健康調査(AHS)集団および病理学的調査集団である。このため、ABCCは主要調査集団に含まれる各被爆者について放射線被ばく状況を明確に記述した。このいわゆる「基本集団」が長期的調査のための固定集団の基盤となった。当初、LSS集団の対象者数は 約100,000人(そのうち 約26,500人は原爆投下時にいずれの市にも不在であった人)であった。LSS集団の副次集団として設定されたAHS集団および病理学的調査集団の対象者数は、それぞれ 約20,000人および 70,000人であった。胎内被爆者集団およびF1集団もフランシス委員会の勧告を受けて設定された。

統合基盤研究計画の実施により、原爆被爆者における死因および種々疾患の罹患率を把握するための堅実な疫学的方法が導入された。かくして、フランシス委員会の勧告によって、被爆者調査が放射線リスク推定および放射線防護基準設定のための信頼できる基盤となることが保証されたのである。
 
委員の氏名および所属
 トーマス フランシス(Thomas Francis Jr.) 委員長   ミシガン大学疫学教室
 シーモア ジャブロン(Seymour Jablon) NAS−NRC医学統計調査室
 フェリックス E. モアー(Felix E. Moore) 米国衛生研究所心臓研究所
  

クロウ(Crow)委員会報告(1975年3月26日)


ABCCの放影研への改組に先立って クロウ委員会 が開催され、a)進行中のABCC調査研究の再検討、b)新法人に引き継ぐべき調査研究の選定、および c)被爆者およびその子供における体細胞および生殖細胞への原爆放射線の後影響調査のための新技術導入必要性に関する検討が行われた。

委員会は、がん疫学、放射線発がん、放射線生物学、遺伝学、病理学および血液学の分野における米国の専門家により構成され、委員は 1975年2月13−15日に長崎を、2月16−21日に広島を訪問した。

委員会は、調査プログラムについて広範な検討を行った後、以下の勧告を行った。

  1. LSSおよびF1死因調査の継続と強化
  2. 検診から臨床検査測定に重点を移すことを目指したAHSプログラムの修正
  3. 胎内被爆者集団のAHS集団への追加
  4. 剖検プログラムの段階的終結ならびに病理学者による組織標本解析の強化
  5. 遺伝生化学調査プログラムの実施ならびに体細胞研究およびF1細胞遺伝研究の継続
委員会の報告は 1975年3月26日に米国学士院・学術会議(NAS−NRC)により承認された。放影研での現在の調査研究活動はクロウ委員会の勧告を強く反映している。
 
委員の氏名および所属
 ジェームス F. クロウ(James F. Crow) 委員長 ウィスコンシン大学人類遺伝学教室
 ヘンリー S. カプラン(Henry S. Kaplan) スタンフォード大学医学部放射線学教室
 ポール A. マークス(Paul A. Marks) コロンビア大学医学部
 ロバート W. ミラー(Robert W. Miller) 米国がん研究所疫学部門
 ジョン B. ストーラー(John B. Storer) 米国オークリッジ研究所病理・免疫学部門
 アーサー C. アプトン(Arthur C. Upton) ニューヨーク州立大学Stony Brook校基礎保健科学部
 シーモア ジャブロン(Seymour Jablon) ABCC
担当幹事 
NAS−NRC医学統計調査室

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主要原爆被爆者調査集団


基本集団

フランシス委員会の勧告を受けて、ABCCは固定集団に含めることのできる日本人原爆被爆者とその他適格者の包括的な名簿を作成した。この名簿作成には、1950年の国勢調査時に行われた原爆生存者調査から得られたデータが用いられた。この調査により、広島 約159,000人、長崎 約125,000人、合計284,000人の原爆生存者が確認された。調査時に広島・長崎のいずれかに居住していたことを条件に選ばれた広島 98,000人、長崎 97,000人の被爆者がこの基本集団となった。また、基本集団には、調査時に広島・長崎のいずれかに居住していたが、原爆投下時には両市にいなかった人も加えられた。

1950年代後半以降、ABCC−放影研で実施された被爆者調査はすべてこの基本集団から選ばれた副次集団について行われた。胎内被爆者集団およびF1集団の集団選別基盤は基本集団ほど明確ではない。胎内被爆者およびその対照者は、出生記録およびABCC調査にもとづいて確認され、1960年の国勢調査の際に実施された被爆者調査により補完された。F1集団設定の基盤となった集団は、初期の遺伝学的調査(前述)データおよびLSS対象者のデータにもとづいて設定された。

次に、主要放影研調査集団の背景および現況について述べる。

寿命調査(LSS)集団
LSS集団はABCC基本集団の中から選ばれた。当初の集団は、a)広島か長崎に在籍し、近距離(爆心地から 2,000m以内)で被爆した基本集団に含まれる人すべて、b)広島か長崎に在籍し、2,000−2,499mで被爆し、基本集団に含まれる人すべて、c)近距離被爆群a)と都市、年齢、性別を合わせて基本集団から選ばれたほぼ同数の、爆心地から 2,500−10,000mの距離で被爆した人、および d)近距離被爆群a)と被爆時年齢および性が一致するように選ばれたほぼ同数の被爆時市内不在者、から構成されていた。

99,393人から成っていた当初のLSS集団は 1960年代後半および 1980年に拡大された。最初の拡大では、基本集団中の爆心地から 2,500m以内の被爆者の残り全員が追加された。2度目の拡大では、基本集団中の、爆心地から 10,000m以内で被爆した長崎被爆者の残り全員が追加された。これらの変更により、LSS集団の大きさは 120,321人に増大した。しかし、過去10年間のLSS調査では、原爆投下時に広島・長崎にいた93,741人について主に解析が行われた。

成人健康調査(AHS)集団
当初のAHS集団は 1955年のフランシス委員会の勧告に基づいて設定された。AHSの中心的集団には、1950年当時生存していた当初のLSS集団のうち、爆心地から 2,000m以内で被爆し、急性放射線症状を示した 4,993人全員が含まれる。AHS集団には、このほか、都市、年齢および性を一致させてLSS集団から選ばれた3つの集団が含まれる。これらの各集団は中心的集団とほぼ同じ大きさである。3つの集団は、1)爆心地から 2,000m以内で被爆し、急性症状を示さなかった被爆者、2)遠距離被爆者(広島では爆心地から 3,000−3,499m、長崎では 3,000−3,999mの距離で被爆した者)、および 3)原爆投下時に両市にいなかった者、である。

1977年に、高線量被爆者の減少への懸念から、LSS集団のうち、1965年暫定推定放射線量が 1Gy以上である被爆者全員と、これらの人に対して年齢および性を一致させた同数の遠距離被爆者を加えることにより、当初のAHS集団を拡大した。これにより、22,397人であったAHS集団に 2,436人が加えられた。AHS集団中の原爆投下時市内不在者に関する積極的な追跡調査は1980年代に終了した。

病理学的調査集団
病理学的調査は、フランシス委員会により提案された統合研究計画の主要なプログラムの一つであった。この副次集団は、家族が広島・長崎に居住しており、剖検許可を得るために連絡可能な、当初の寿命調査集団 70,000人である。この調査の当初の目的は、死因を特定し、死亡以外の放射線関連の変化を究明するために、LSS集団全員について可能な限り多くの剖検を実施することであった。剖検率は 1960年代初期は日本の他の地域より比較的高かったが、それ以後は大幅に減少した。

剖検数の大幅な減少により、1978年の専門評議員会では、原爆放射線に被ばくしたことが判明している人が死亡した場合、放影研に連絡してもらえるよう、両市の医師と緊密な関係を持つよう剖検プログラムを修正することが勧告された。また、細胞病理学、免疫病理学および組織培養の分野で放射線生物学と関連した研究プログラムを計画・実施するよう勧告がなされた。

剖検プログラムのほかに、外科病理プログラムも 1950年代後半から 1960年代後半にかけて行われた。このプログラムによって、組織ブロックを含む組織標本がABCCに提供され、組織登録開始以前の有用な情報・試料源となった。何年にもわたって多数の組織試料が収集され、放影研調査集団について7,500件の剖検試料と 13,000件の外科試料が入手された。

予備的調査により、これらの古い保存組織が分子生物学的研究に有用であることがわかってきた。しかし、放影研の剖検および外科病理プログラムは終了しているので、最近の症例についての病理試料は放影研外部からしか入手できない。

胎内被爆者集団
原爆投下時から 1946年5月末までに広島・長崎の市内または近郊で出生した 約10,000人についての記録に基づき、胎内被爆者の2つの重複する固定集団が 1960年頃設定された。胎内被爆者臨床調査集団は、爆心地から 1,500m以内で胎内被爆したすべての日本人の集団と、この集団と同様の大きさの、都市、性および出生年月日を一致させた2つの比較集団を含むよう設定された。この比較集団は、母親が爆心地から 3,000−5,000mの距離で被爆した人と、原爆時に市内にいなかった人から選ばれた。胎内被爆者臨床調査集団には 1,608人が含まれ、そのうちの 1,021人は 2年に1度のAHS検診プログラムに自発的な参加をよびかけるために連絡が取られている。

胎内被爆者死因調査集団には現在2,817人が含まれている。1964年頃に設定されたこの集団は、爆心地から 2,000m以内で胎内被爆した人全員から成る中心的集団と、爆心地からそれぞれ 1,500−2,000m、2,000−3,000m、3,000−10,000mの距離で胎内被爆し、中心的集団と条件を一致させた同様の人数の3つの比較集団から構成されている。被爆後 9カ月間に出生した、原爆投下時市内不在者の子供の中から、同様の大きさのもう1つの比較集団が選ばれた。

胎内被爆者についての死因およびがん罹患率に関する現在の解析は、上記の臨床調査集団と死因調査集団から得られたデータを合わせて行われている。現在 3,654人の胎内被爆者(爆心地から10km以内で被爆)がこの結合集団を構成している。

被爆者の子供(F1)の集団
ABCCの初期から、遺伝的影響の調査は特に重要とみなされてきた。初期の段階においては、放射線被ばくによる先天性異常、性比およびその他の遺伝的影響の調査のために、両市においてすべての出生に関するデータを入手する真剣な努力がなされた。そして 1950年代半ばまでに、それまでに得られた以上の所見は出ないであろうということが判明した。しかし、フランシス委員会は被爆者の子供の追跡調査の継続の必要性を認め、固定集団の設定を勧告した。

その後まもなく、最初のF1死因調査集団が設定されたが、記録が不十分な時期があり、いわゆるF1集団の大きさと構造に若干の混乱が生じた。この混乱は、1986年線量推定システム(DS86)と呼ばれる改訂線量推定方式の導入により悪化した。そのため、F1集団の定義を再検討し明確にするために、ABCC遺伝学的調査データベース検討委員会が組織された。以下の説明はこの委員会の検討結果に基づいている。

F1集団は、1946年5月1日から 1958年末までに生まれた 54,243人から成り、そのうち 53,518人のみについて追跡データが得られている。中心的集団は、少なくとも親の一方が爆心地から 2,000m以内で被爆したという条件を満たす子供すべてから構成されている。この中心的集団と同じ大きさの、性と年齢を一致させた2つの比較集団が設定されている。第一の比較群には、少なくとも親の一方が爆心地から 2,500−9,999mの距離で被爆した子供が含まれ、第二の比較群には、両親とも爆心地から 10,000m以遠にいた子供が含まれている。

最初のF1集団は3回拡大された。これらの拡大により、両親のうち少なくとも一方が拡大LSS集団の対象者であり、1946年5月1日から1984年12月31日の間に生まれたすべての子供が加えられ、F1集団は88,485人に増えた。

F1集団のうち重複部分をもつ下位集団に関して様々なABCC−放影研調査が行われてきた。以下の表は、特定のF1調査プログラムの対象となった下位集団の大きさを示したものである。
 
 調査プログラム 対象者数
 死因追跡調査         76,816
 研究室における調査         25,695
  遺伝生化学調査         23,731*
  細胞遺伝学調査         16,392*
  末梢リンパ球培養とその保存           3,690**
*これらの数値は検査人数のみを示しており、検査された人々の属していた集団の全数ではない。遺伝生化学調査対象者と細胞遺伝学調査対象者は完全に同一ではないが、多くの人は両調査の対象となっている。

**末梢リンパ球培養が計画されているF1調査対象者数。約1,500人のF1調査対象者およびその両親(約1,000家族)についての培養系の確立が計画されている。

 
遺伝学的調査データベース検討委員会は、研究室における調査協力対象者の追加(約4,000人の追加)を行って、死因追跡調査を拡大するよう、また、可能であれば、F1集団の全員を含めるよう勧告した。この勧告は1994年の放影研専門評議員会で支持されたが、予算上の制約のためにまだ実現していない。

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被ばく線量測定


被爆者の個人別被ばく放射線量の推定は、ABCCおよび放影研の調査活動の中核であった。ABCC時代の最初の 10年間においては、個人別推定線量は得られていなかったので、近距離被爆者と遠距離被爆者または原爆投下時市内不在者との比較に基づいて解析が行われていた。1950年代後半に、米国政府はいわゆるYork空気線量曲線の機密扱いを解き、これにより、爆心地からの距離に基づいて個人線量を推定できるようになった。 York曲線 は1957年暫定線量推定方式(T57D)の基盤として用いられた。しかし、T57DはABCCにより公式に採用されたことはなく、一部の調査に用いられたのみである。

1960年代には、米国オークリッジ研究所において、ABCC調査のための包括的線量推定方式の開発が始まった。その結果、1965年暫定線量推定方式(T65D)が開発され、1968年以後のABCC−放影研のリスク推定の基盤となった。T65D線量は、被爆者の線量推定値として一般的に認められた最初の線量である。

T65D方式は、物質中に放出された空中ガンマ線および中性子の運動エネルギー(カーマ)推定値を爆心地からの距離の関数として算出する計算式を含んでいる。T65Dではまた、建造物または地形による遮蔽の影響を算定するための種々の方法も利用された。近距離被爆者の遮蔽カーマ推定値は、LSS対象者のほとんど全員について入手された遮蔽歴情報に大きく依存している。詳細な遮蔽歴が、広島の爆心地から 1600m以内、および長崎の爆心地から 2000m以内の被爆者の大部分(28,000人以上)について得られ、これ程は詳細でない遮蔽情報が基本集団の全員について得られている。1970年代後半に、臓器透過係数が放影研で利用できるようになったが、T65Dに基づくほとんどすべての解析は遮蔽カーマ推定値を利用したものであった。

1981年に、T65Dに疑念が生じ、新しい線量推定方式を確立するための大規模な試みが日米両国により始められた。これにより、DS86線量推定方式が開発され、1987年から放影研での解析に用いられるようになった。DS86は線量成分について T65Dよりも詳細な情報を提供し、15個の臓器について線量算定が可能になった。DS86では、広島の中性子線量推定値はT65Dの場合よりもかなり低くなった。DS86ガンマ線量は無遮蔽の場合 T65Dの場合よりも全般的に高くなったが、建造物、特に典型的な日本家屋による減少はT65Dの場合よりも大きいと推定された。DS86推定値についても現在幾つかの疑問が生じているが、依然として放影研リスク推定値の基盤として使用されている。

過去1年間に、DS86方式が放影研の新しいUNIXコンピュータシステム上で適切に作動するように作業が行われてきた。また、遮蔽および線量測定に関するデータをより効率的に利用できるよう最新のデータベースの設計も試みられている。

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追跡調査方法


死因調査
我が国においては死亡の届出システムが完備しており、その結果は人口動態統計のなかに発表されている。また、死因に関する情報も国際疾病分類に基づいて分類されている。放影研では調査対象者の死因についての調査を行い、原爆放射線被ばくと特定の疾病による死亡頻度の増加の有無について調査を続けているが、この調査方法には利点のみならず欠点もいくつかある。例えば、疾病によっては診断の正確性に問題があること、死亡につながらない疾病の情報が得にくいこと、疾病の発生時期の特定が困難であること、などである。したがって、疾病によっては原爆放射線被ばくと関連した頻度増加の有無を検証するには、次に述べる腫瘍・組織登録のデータや検診データによって結果の裏付けをする必要性が出てくる。

腫瘍・組織登録

原爆被爆者のがん罹患率に関する初期の監視プログラムにおいて、白血病およびその他の血液学的異常の登録が行われた。白血病登録として知られるこの監視プログラムは、広島赤十字病院および長崎大学の医師により 1940年代後半に開始された活動から生まれたものである。1950年代前半以降、この登録は、両市の血液学者の協力の下にABCC−放影研により実施されてきた。白血病登録データは、被爆者における白血病についての膨大な報告書の基盤として用いられてきた。最近では、白血病およびその他の造血器がん症例は、広島および長崎の腫瘍登録によってほとんどが確認されるので、白血病登録の活動は比較的不活発である。

地元医師会の協力により、市民を対象とした腫瘍登録が 1957年に広島で、1958年に長崎で開始された。開始以来、両登録はABCC−放影研により実施されてきた。登録データは、通常作業の一部として、LSS集団、胎内被爆者集団およびF1集団の対象者と照合される。登録は最初の数年間は支障なく実施されたが、運営上の事情により広島の登録データの有用性が減少した。しかし、1980年代には問題が解消し、登録データの更新と標準化ならびに登録運営の刷新のための努力が開始された。1990年代初めまでに、腫瘍登録データは、解析を保証する高い質と完全性を有すると評価されるようになり、LSS集団におけるがん罹患率に関する一連の包括的報告書の基盤となった。

広島・長崎の登録は、症例確認を積極的に行うので(例えば、訓練を受けた採録者が病院・医院を訪問する)、日本のがん登録の中では特異な存在である。両市の登録は、日本の腫瘍登録の中で精度が高いと一般的に考えられており、両登録で得られたデータは、国際がん研究機関の出版する「五大陸におけるがん罹患率」に定期的に掲載されている。

郵便調査および面接調査
1960年以降、LSS集団について面接調査および郵便調査が定期的に行われてきた。これらの調査により、喫煙、飲酒、食事・栄養、出産歴、職業およびその他の社会経済的因子など、広範な疾患リスク因子に関する横断的および縦断的データが得られる。これらのデータは、種々のファイルからの膨大なデータセットの管理と解析が困難なため、これまではあまり利用されてこなかった。

種々の資料源からのデータの利用と統合が最近進捗し、これらのデータの解析が促進された。放射線以外の因子の役割に関する報告が最近発表されている。この重要な研究分野においては今後更に努力が必要である。症例−対照面接調査もまた、放射線被ばく以外の因子の交絡影響および交互影響の評価に有用である。現在進行中のB型およびC型肝炎ウィルス感染およびその他の既知のリスク因子と肝臓がんに関する症例−対照調査が示しているように、この調査方法は生物学的試料の調査と組み合わせると特に有用である。

成人健康調査(AHS)検診
AHS集団の2年に1度の定期検診は1958年に開始された。この検診では、どの1カ月間でも集団全体をほぼ代表する被爆者が検診を受けるよう予定が組まれている。AHS検診は現在19周期目であるが、この検診は放影研と被爆者とが直接顔をあわせる唯一の機会である。被爆者には検診により、健康に関する情報が得られ、これをABCC−放影研は継続的な有益なサービスとみなしている。一方放影研はAHS検診により調査試料を入手でき、それによって臨床検査や、遺伝学的調査、放射線生物学的調査を行っている。

時間の経過に伴って被爆者の数は減少し、AHS集団は最初の規模の約50%に縮少した。しかし、広島・長崎在住者の受診率は80%以上を維持している。この高い受診率は、被爆者の協力的精神、放影研の連絡担当者の努力、定期検診に来所できない対象者への夜間診察や自宅訪問プログラムの実施などにより保たれている。最近、手紙または電話によりAHS対象者への連絡回数をこれまでより多くするための努力がなされており、AHSのための疫学的疾患モニターシステムの再構築が検討されている。

放影研の検診においては全理学的検査が行われ、その中には、身体計測、血圧測定、心電図検査、X線撮影ならびに腹部および甲状腺超音波検査などが含まれる。通常の検査室での検査に加えて、がん探知のための生化学および免疫学検査も行われる。

縦断的解析のために全調査期間にわたって行われる通常のデータ収集のほかに、限られた検診周期について、横断的解析のための特定の臨床調査が実施されている。

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ABCC−放影研におけるデータ管理およびコンピュータシステム


初期の処理方法
1965年頃までのABCCにおけるデータ管理と処理法は、日本の最高水準にあった。1949年から1963年までは、パンチカードに基づくシステムがデータ処理に用いられた。作業は3種類の装置、すなわちカードソーター/カウンター、2組のパンチカードデータを組み合わせる照合機、および基礎的な計算を行う装置を用いて行われた。すべてのプログラムは手作業で行われていた。

大型コンピュータシステム

システムの大幅な変更が1961年に行われ、IBM大型コンピュータの導入により、データ管理、統計解析および事務処理が行われるようになった。蓄積データの急速な増加に伴い、大型の磁気テープが1963年に導入され、パンチカードに代わって主要な永久保存媒体となった。使用頻度の高いデータに、より速くアクセスできるようにするために、ハードディスクが1965年に導入された。一連の異なるIBMモデルが1976年まで使用されたが、同年にNEC大型コンピュータシステムへと移行した。その後NECモデルの更新が数回行われた。

NEC大型コンピュータシステムへの移行が行われた主な理由は、1975年に米国主導のABCCから日米共同運営の放影研への改組が行われたためである。NEC大型コンピュータは極めて信頼性の高いシステムであったが、包括的なデータベース管理や研究データ解析のための最新技術を用いた市販ソフトウェアがないことが主な欠点であった。NECシステムとIBM大型コンピュータとの間の互換性のなさ、NECの大型コンピュータ市場での占有率の低さのため、ソフトウェア業者はNEC大型コンピュータ用のソフトウェアを提供しようという意欲に欠けた。IBMの使用を続けるか、または日本で生産されたIBM互換大型コンピュータに移行する考えは成功しなかった。このような状況に対処するために、ソースコードが入手された時点でIBM大型コンピュータ用ソフトウェアを変換する努力が1980年代初めに行われ、放影研における専門的解析におけるニーズを満たすために、所内で新しい統計ソフトウェアが開発された。

分散型コンピュータシステムへの移行

大型コンピュータでは満たされないソフトウェア関連のニーズに対応し、また、放影研コンピュータシステムに新しい技術を導入するために、コンピュータシステムを分散化する努力が開始された。この方向への最初の大きな動きは、放影研に1983年頃から導入され始めたパーソナルコンピュータ(PC)の登場と共に始まった。1980年代半ばから後半にかけて、コンピュータユーザーの数が増加し、それと共にユーザーの作業の規模ならびに複雑さも増した。その結果、それまで対応できなかったソフトウェア関連ニーズに取り組み、大型コンピュータの非効率性、膨大なレンタル料およびその他の問題に対処することが必要であることが明瞭になってきた。

1980年代後半までに、PCおよびUNIX RISCワークステーションの最新技術、処理能力の向上および価格の低下により、大型コンピュータシステムでは満たされないデータ管理、解析および通信上のニーズに対応するための新しい、より適切なシステムが利用できるようになった。新しいハードウェアの出現、放影研における現在および将来のコンピュータニーズへの対応の必要性、ならびに、国内外でのコンピュータシステムの小型化傾向などを受けて、1991年秋に、旧式の大型システムに替わって、インターネットに接続した分散型ネットワークコンピュータ環境を構築するための努力が遂に開始された。1994年末に、備品の取り替え等を含む、両市での前例のない規模の全所を挙げての努力の末、大型コンピュータは予定より15カ月早く撤去された.これにより、約34年間続いた大型コンピュータシステムを中心としたコンピュータ処理の時代は終わりを告げた。

現在のコンピュータ環境

現在のPCの優れた能力は、研究員および支援職員の机上に直接強力な手段をもたらし、コンピュータ資源が日常の作業に益々利用され、組み込まれてきた。PCソフトウェアは現在、各部での解析および作業の自動化における多くのニーズに対応している。RISCワークステーションは、コンピュータによる計算を更に集中的に必要とする作業に解析力を提供し、放影研データベース操作の中心的役割を果たすと共に、インターネットサービスも行っている。新しい所内ネットワークにより、両市の職員は、互いに連絡を取り合い、伝言、文書およびファイルの交換をより効率的に行い、プリンター、ディスクドライブおよびハードドライブなどの共用資源を共有し、ワークステーション上のソフトウェアにアクセスし、これを実行することができる。

インターネットへの接続により、Eメイルを通じて世界中の研究者や情報へのアクセスもでき、情報をアップロードまたはダウンロードするための電子ファイル転送、(認可された場合の)放影研と他のコンピュータ施設間の相互のログインなどが可能になる。さらに、インターネットを通じて、日本国内でもまた国際的にも放影研の知名度を増すことができる。このために、放影研は、World Wide Webなどのインターネットにより、一般市民に対して放影研情報へのアクセスを容易にし、広く知ってもらえるための努力を行っている。

現在のデータ管理活動

データ管理においては、放影研の研究データを処理・管理するための新しい相互関連データベースがRISCワークステーション上で構築された。この中には、基本名簿、腫瘍登録、組織登録、寿命調査およびDS86線量体系のデータが含まれている。原簿管理課および腫瘍登録室は、このシステムを用いて、放影研の種々の死因調査および罹患率調査における新しい個人情報を記録している。新しいデータベースでは重複データは除かれ、データ解析のためのデータ検索、データ精度チェックおよび作業ファイル作成が大幅に改善された。データベースに組み込まれた安全保障システムにより、氏名および住所などの個人確認情報へのアクセスは、その情報の維持・更新担当者以外には許可されないようになっている。

新しいコンピュータ環境への移行を転機に、主要調査集団の定義とデータ源を明確にすることへの関心が高まった。F1集団および胎内被爆者集団に関する作業はほぼ完了している。しかし、依然として、単独のフラットファイルとしてディスクまたはテープに保存されているデータも多い。各調査対象者に関するより完全な情報を提供し、データ連結作業に要する時間を節約するためには、これらのデータをもっと相互関連データベースに組み込む必要がある。

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ABCC−放影研調査の結果

寿命調査(LSS)

LSS集団の死因調査に関する一連の包括的な報告書は、ABCC−放影研の調査結果を要約した最も重要な報告書である。データの蓄積に伴い、この報告書シリーズは、初期の放射線影響に関する調査報告から、原爆放射線被ばくによるがんやその他の理由による死亡リスクに影響を及ぼす因子に関する詳細な解析結果へと発展してきた。1996年に出版される予定の最新の報告書では、1950年から1990年までのがん死因を検討している。性、被爆時年齢および被爆後経過時間に伴う過剰リスクの変動の特徴に特に注意が向けられている。この報告書にはまた、LSS集団における放射線被ばく関連の生涯リスク推定値が示されている。

前回のLSS報告では、放射線量の増加に伴うがん以外の疾患による死亡率の増加が示唆された。がん以外の疾患による死亡率について新しい報告書が今作成されつつある。追跡期間の延長により、この重要な調査結果がもっとはっきりさせられると思われる。

LSS集団における腫瘍登録を基盤としたがん罹患率についての解析結果は、追跡調査期間が死因調査よりも短いにもかかわらず、その症例数の多さ、診断の正確さ、ならびに非致死がんに関する情報などの点から、ABCC−放影研の歴史における画期的な出来事となった。がん罹患率に関しては、乳がん、肝臓がん、肺がん、皮膚がん、唾液腺がん、脳および中枢神経系のがん、甲状腺がん、卵巣がんおよびリンパ腫などに関して、一連の詳細な部位別罹患率の調査を継続している。将来、被爆者のがんリスクについての包括的報告書を作成する際には、死亡データと罹患データの両方を使用するよう検討すべきであろう。

LSS第10報の発表以来、放影研の方針として主要なLSS報告書で使用されたデータを、外部の研究者に公開し、解析結果の再現や別の角度からの解析もできるよう努力してきた。現在、LSS第10報および第11報(がん以外の疾患による死亡データを含む)のデータセット、LSSにおける固形がんならびに造血器がんの罹患率に関する最近の解析データ、およびF1集団における死亡およびがん罹患データが利用できる。これらのデータセットは、要請があれば誰にでも提供され、外部の研究者による多くの出版物の基盤として用いられている。

がん調査

LSSは、低LET放射線への全身被ばくに関連したがんのリスクについて最も幅広いデータを提供している。白血病、多発性骨髄腫および通常よく見られる固形がんの多く(胃がん、肺がん、肝臓がん、大腸がん、食道がん、女性乳がん、卵巣がん、膀胱がん、および部位別解析では考慮されなかった幾つかのがんのグループ)について、統計学的に有意な過剰リスクが認められた。直腸がん、胆嚢がん、膵臓がん、子宮がん、脳および中枢神経系のがん、およびリンパ腫については統計学的に有意な過剰リスクは認められなかった。しかし、他の多くの部位で放射線の影響が認められていることから考えて、これらの部位で有意な影響が認められなかったことは注意深く解釈すべきである。というのは、LSS集団のような大きな集団においてさえも、幾つかの部位の症例数は十分ではないので、検定力が足りないために、有意な結果が得られないのかも知れないからである。実際、ほとんどの固形がんについては、部位別相対リスクと固形がん全体の相対リスクとの間に統計学的な差は見られない。

白血病は上向きの非線形線量反応を示すが、固形がんの線量反応は驚くほど直線的である。白血病の過剰リスクは被爆後時間の経過と共に減少する傾向があるが、固形がんの(絶対)過剰率は、バックグラウンド率の年齢に伴う増加にほぼ比例して追跡期間全体にわたって増加している。性別に関係のない大部分のがんでは、女性の過剰相対リスクは男性の約2倍である。しかし、多くのがんにおいて、女性の年齢別バックグラウンド率は男性の約1/2なので、男性と女性の過剰率の差は大きくない。

ABCC−放影研の固定集団には原爆時から1950年までの死亡者は含まれていないので、上記の結果はヒト全体のリスクではなく、放射線に強い一部の被爆者のリスクを反映しているのではないかという議論がある。しかし、被爆者の細胞における放射線感受性について多くの調査が行われたが、いずれも被爆者の受けた放射線量によって感受性が異なることを示す結果は得られていない。

胎内被爆者調査

胎内被爆者に関する最も初期の調査において、被爆児62人に有意な頭囲の減少すなわち小頭症が認められた。それ以後、同じ被爆者群に30例の重度精神遅滞例が認められた。ダウン症候群ではなく放射線被ばくに起因する重度精神遅滞例について最近発表された解析結果では、胎齢8−15週が精神遅滞を最も起こしやすい時期であり、16−25週が次に危険な時期である。これら二つの時期については異なる閾値線量が示唆されるが、線形反応も除外できない。

がん罹患率についての調査結果は、被爆群における増加を示唆してはいるが、これはまだ少数の症例に基づいた所見である。

成人健康調査(AHS)

臨床研究部は、放射線に関連したいくつかの健康問題について報告書を発表してきた。

がんについては、乳がんおよび甲状腺がんの増加が最初にAHS受診者に認められ、これは後にLSSプログラムにより確認された。肝細胞癌の増加にウィルス感染が交絡因子として働いているかどうかも検討されたが、その結果は否定的であった。AHSプログラムではまた、連絡対象地域に居住する被爆者の正確な数が把握でき、LSSのがん発生率データのための重要な情報源としても機能している。このAHSプログラムでは、頻繁に個人的連絡、郵便および電話による連絡が行われ、同地域からの転出者を特定できる。

AHSにおいて悪性でない新生物についての調査結果が業績報告書シリーズに報告されている。副甲状腺、甲状腺および子宮の良性腫瘍については、はじめに横断的調査により、有病率の増加が認められ、この増加は後に発生率の解析により確認された。

放射線に関連した水晶体混濁(白内障)については、1951年から 30年にわたる調査結果が3つの主要な論文に発表されている。DS86線量推定方式を用いた最近の再解析では、これらの水晶体混濁は閾値線量を有し、それはガンマ線では比較的高く(>0.7Gy)、中性子ではかなり低い(<0.1Gy)ことが示唆されている。今後調査すべきは、動物実験で示唆されているように、これらの混濁例が近年進行しているかどうか、また、新しい症例が発生し続けているかどうかである。

心臓血管疾患についての一連の論文は、高線量に被ばくした女性に最初に心筋梗塞および脳卒中の発生率が増加したことを示している。過剰相対リスクは、がんリスクの 約10%−15%と低いのではあるが、これは有意であり、このデータも、後に得られたLSSにおけるがん以外の疾患の死亡調査の所見への警鐘として役立った。また、1986年までに、大動脈弓石灰化の有病率が低線量群よりも高線量群でかなり高く、45歳以降、被爆時年齢20−29歳群で顕著に高いことが胸部X線検査から明らかになった。ただし、これらが放射線被ばくの直接影響か間接的なものかの結論は、いまだ出ていない。

AHSにおける 28年間におよぶ縦断的解析から、慢性肝炎および肝硬変の発生率が被ばく線量と共に有意に増加していることが判明し、これもLSSにおける肝臓がん発生率増加確認の前兆となった。

2年ごとのAHS検診では、身長および体重の測定が行われるので、胎内被爆者および 10歳未満で被爆した人の連続的な成長パターンを追跡することが可能であった。この大きなデータセットの統計解析も、被ばくと関連した身長の有意な低下を示し、それは高線量群で最も著しい低下を示した。このような影響が、マーシャル諸島での調査で認められたような甲状腺機能不全などのホルモン変化によるのか、あるいは何かほかの骨の成長への直接的影響によるのかは明らかでない。このような成長の差を説明し得る社会経済上の(例えば栄養上の)差は認められてはいない。

38年にわたって蓄積されてきた健康データの中には、放射線の直接的影響のみならず正常な加齢過程についても、今後検討されなくてはならない多くの情報が含まれていることは確かである。

遺伝学的調査

ABCCの遺伝学的調査プログラムが開始される前に、1946年に米国学士院により、著名な遺伝学者による会議が開催され、調査プログラムが検討された。会議の勧告文の一部を次に引用する。
「原爆放射線はヒトに遺伝的影響を生じる可能性があり、また実際に生じた可能性も高いのではあるが、だからといって、この日本人集団について調査を行えば、有意な結果が得られることを保証するわけではない、ということを明確にしておく必要がある。実験室データとはちがって、この集団は放射線以外の要因による影響をいろいろと受けており、遺伝的影響の調査にふさわしいとは言えないのである。そのような問題はあるものの、本会議は、原爆放射線に起因する遺伝的影響調査のための他に類例のないこの可能性を失うべきではないと考える。」

1948年3月までに、ABCCは、両市において新生児の臨床検査および家庭訪問からなる広範な調査プログラムを開始した。1948年から 1954年まで、76,000人以上の子供がABCCの医師により診察を受けた。このうち 30%の人は 8−10カ月後に再検査を受けた。当時の日本には、妊婦が米の追加配給を受けるためには、妊娠5カ月後に登録しなければならないという制度があったので、この制度を利用して、流産、死産および新生児死亡についての情報が収集された。先天性異常の有無は医師により調査された。1953年までの解析の結果、被爆群の親から生まれた子供と非被爆群の親から生まれた子供の間に遺伝的影響に関する有意な差異は認められなかったので、この臨床調査は1954年に中止された。得られた所見をまとめた主要な報告書が1958年に発表された。1955年から1968年までは、性比および新生児死亡についてのデータが収集された。

1968年から現在に至るまで、16,000人以上の子供について細胞遺伝学調査が実施されてきたが、その約1/2が被爆者の子供である。出生後、負の選択を受けない性染色体異数性および均衡型転座について調査が行われた。

1976年に、蛋白質構造の変化についての調査が開始された。各々の人について、30種類の蛋白質が1次元電気泳動法を用いて調べられた。この大規模な調査は23,000人以上について実施された。

これらと同じ時期に、F1集団の一部について死亡データおよび罹患データも収集された。

DS86線量推定値を用い、追跡調査期間を延長して得られた死因調査に関する一連の報告書が1990年に発表された。これまで調査された指標のいずれにおいても放射線被ばくによる増加は認められていない。1990年に発表された主要な報告書では、両親の生殖細胞の放射線感受性の尺度である倍加線量の評価が試みられた。得られたデータの不確実性を考慮して、以下の結論が下された。「ヒトのデータによると、倍加線量は研究室でのマウス実験から得られた推定値の3−4倍である。従って、ヒトの放射線感受性はマウスにくらべて低く、その1/3ないし1/4と考えられる。」最も重要なABCC−放影研遺伝学調査報告書はThe Children of the Atomic Bomb Survivors. A Genetic Study (edited by J.V. Neel and W.J. Schull, Washington, DC, National Academy Press, 518 pp, 1991)という標題で一冊の本にまとめられている。

被爆者の子供における遺伝学的影響の調査では有意な増加を示す結果は得られなかったが、高エネルギーの放射線が研究室で実験されたすべての動物に突然変異を引き起こすことは実証されている。1980年半ばまでに利用可能になった最も感度の高い研究方法、すなわち、DNAという遺伝子自体の分子レベルでの研究を行えば、もっと明瞭な結果が得られると思われる。そこで、1985年に、遺伝生化学研究室は、遺伝子に生じるさまざまな変化を探知できる技術の開発に着手した。同時に、父親、母親および子供の3人1組から成る1,000家族(被爆家族500、対照家族500)から細胞株を樹立する計画が立案された。約109個の細胞から成る細胞株と形質転換していない正常のリンパ球および顆粒球が液体窒素中に保存されている。

ヒト生殖細胞突然変異に関するワークショップが1991年に放影研で開催され、新しく開発中のDNA技法が検討された。更に、そのワークショップは、親が被爆者である50家族、親が被爆者でない50家族の合わせて100家族について試験研究を開始することを勧告した。この試験研究では、変性剤濃度勾配ゲル電気泳動法、サザンブロッティングおよびマイクロサテライトスクリーニングという三つの主要なDNA技法の有効性の検証を目的としていた。これらの試験研究の結果が最近発表された。その間、当所の研究員は、2次元ゲル電気泳動法により分離されたDNA断片より成る2,000個のスポットを検出する新しい技法を開発した。この方法では主に、DNAの挿入、欠失、再配列ならびに制限酵素の認識配列におけるDNA塩基置換を検出できる。試験研究は、この技法が、DNAの変異により生じたスポット濃度の50%の増減を検出できる精度を持つことを示唆している。

費用、時間および労力の点で最も効率的な技法が利用できるようになり、最も適切な標的遺伝子が解析できるようになった時点で1,000家族についての本格的な研究を開始する予定である。

被爆者の細胞遺伝学的調査

AHS受診者から選ばれた被爆者の末梢血リンパ球を用いて、1968年から現在まで細胞遺伝学調査が通常業務の一環として実施されてきた。生物学的線量評価のために、線量反応関係の確立に重点が置かれてきた。負の選択を受けない安定型染色体異常(主に転座)を持つ細胞を数えることにより、各被爆者の放射線による影響が調べられた。これまでのところ、両市で2,500人のAHS受診者について異常頻度に関する調査が行われ、推定線量の増加と共に異常頻度も増えることが明らかになった。

この結果は、新しい分子学的技法によっても確認された。それは、蛍光in situハイブリダイゼーション(FISH)とよばれる技法で、最も客観的に転座を検出できるものである。更に、繰り返しテストを行ったところ、安定型染色体異常を持つ細胞は、放射線に被ばくした人の体内に数十年にわたり一定の頻度で存在し続けることが示唆された。従来の方法およびFISH法で得られたデータは、屋外または工場内で被爆した人について求められた物理的計算によるDS86線量が、日本家屋内被爆者の場合と比較してしばしば過大評価されていることを示唆した。この傾向は長崎の被爆者の方により強く認められる。

もう1つの感度の高い線量検証方法である電子スピン共鳴法(ESR)により、被爆者から提供された抜去歯のエナメル質を調査した予備的結果は、この方法で得られた線量推定値は、DS86を用いた場合よりも、染色体異常頻度により密接な相関を示しているようである。このESR法は、放射線感受性の差よりもむしろ線量推定値の偏りが原因と考えられるような高線量での重度脱毛頻度の低下など、特定の異常な反応に関して重要な情報を提供する。

放射線生物学研究

1970年代後半に、来所研究員がAHS臨床調査プログラムに最新の免疫学的技法を導入した。ほぼ同時に、細胞を用いた実験的放射線研究が細胞生物学研究室の前身である病理学的調査プログラムで実施された。新しい免疫学研究室が1980年につくられ、免疫学研究員が採用された。この研究部門の強化・修正を求めた専門評議員会の勧告により、1985年に放影研の大幅な組織改正が行われ、免疫学グループと細胞生物学グループが合併して放射線生物学部となった。

この研究チームの重要な研究課題は以下の通りである。
  1. 放射線感受性の異なる集団がAHS集団中に存在するかどうかを究明するための細胞生物学的研究を行う。これにより、同程度の放射線量を受けたと考えられている被爆者間に見られる原爆放射線による初期および遅発性の反応の差が説明できるかもしれない。放影研のがん研究に対して、「放射線感受性が高い人は被爆後すぐに死亡したため、放影研のがんリスクは放射線抵抗性が強い人に偏って推定されたもので、過小評価されている」という批判がある。疫学的解析ではこの批判に反論できなかった。しかし、初期の放射線症状や、その後にがん発生を経験した者、しなかった者を含めた、高線量被爆者、低線量被爆者、非被爆者から得られた線維芽細胞およびリンパ球細胞についての実験的放射線研究では、細胞死およびその他の測定可能な指標に対していずれも反応に違いは認められなかった。
  2. 免疫能の変化、およびリンパ球サブセットにおける特定の変化が原爆により誘発されるかどうかを検討する。これらの研究により、免疫系反応に被ばく線量に関連した変化が認められており、現在進行中の研究ではこの問題について更に詳細な検討が行われている。
  3. 被爆者の体細胞調査により、数十年前の原爆被爆に起因する遺伝子突然変異頻度の変化を検出できるかどうかを決定する。放影研で実施されたいくつかの研究によると、リンパ球においては「長期的記憶」がない、言い換えれば、おそらく生じた突然変異が細胞の長期生存に有害なため、選択作用が働き、突然変異を有する細胞が減少するかまたは排除されることを示している。

    これとは逆に、MNヘテロ接合を示す者におけるMまたはN抗原特異性の欠如を引き起こす赤血球突然変異には選択作用は働かない。グリコフォリンAを用いた検定システムが米国Lawrence Livermore研究所で開発され、放影研において更に技術的に改良された。何百万個もの細胞を高速で選別することにより、自然発生または、誘発された体細胞変異率を決定できる。AHS受診者を対象とした集団調査により、加齢により自然突然変異率が増加すること、また、突然変異頻度は放射線量に依存することが示された。 1990年代初めに、放影研専門評議員会は、本研究プログラムが体細胞突然変異研究において世界のトップクラスにあるとの結論を下した。
  4. 被爆者に生じたがん組織における分子変化とがん発生の原因に関する研究。放射線誘発がんは、他の原因によるがんとは異なった特異な分子変化を示すであろうか。このような研究はまだ初期の段階にある。
  5. 原爆被爆者の細胞に生じた放射線障害または変化を評価するための新しい技術を引き続き導入する。このために、AHS受診者全員のリンパ球細胞を、低温で保存する。細胞保存により、被爆者数の減少に伴う調査上の問題点を部分的にではあるが補うことができる。
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調査結果の発表


業績報告書シリーズ、1959−1992年
原爆傷害調査委員会(ABCC)の業績報告書(technical report, TR)の正式な出版が 1959年に開始された。この時、すでに学術雑誌に英語で発表されていた初期の調査結果の一部が日英両文併記の形でTRとして出版された。日英両文による報告書の所内出版ならびにそれら出版物の世界(約800件の個人および団体)に向けての郵送は 1989年まで継続された。それ以後は特定のTRのみ日英両国語で出版された。1959年から1992年までに、830件のTRがABCC−放影研により出版された。

主として作成に要する時間と経費の増大のため、1993年に所内におけるTRの作成およびそれらの配布は中止された。放影研報告書がこれに替わって作成されるようになった。放影研報告書は、雑誌投稿の原稿の段階で放影研常務理事の正式承認を受ける。学術雑誌により受理されると、原稿が放影研報告書となり、雑誌掲載論文の別刷りを出版社から購入して、日本語の要約と表紙を添付する。放影研報告書の配布はその研究テーマにより異なるが、少なくとも 100部が日米政府省庁、地元の医療機関や被爆者団体、図書館および放影研の理事および顧問に送付されている。このように、放影研は現在、世界へ向けての研究結果発表に際しては主に学術雑誌掲載論文を利用している。

放影研の定期刊行物

放影研では地元の医療機関、国内外の放射線研究者、研究機関ならびに元・現職員に情報を提供するために次の定期刊行物を発行しています。

「広島医学」放影研欄

1960年以来、広島県医師会の月刊医学雑誌「広島医学」に、ABCC−放影研の研究成果を発表する欄が設けられ、掲載料を負担しています。この雑誌は、地元医師会会員、全国の医学図書館、医学関係機関などに 約6,300部送られています。また、放影研は別刷りを購入し、地元報道機関および医療機関などに配布しています。

「RERF Update」

1989年から放影研は、研究所のニュースや、現在および過去における放影研の研究に関する記事を掲載した英文の「RERF Update」を作成し、個人および団体に 1,000部以上を配布してきました。2001年の夏から、この出版物を日英両文で年に2回、以前とは多少異なった形で放影研のホームページに掲載します。

「放影研ニューズレター」

ABCC時代(1963年)から研究所全体のニュース、研究成果および職員の近況を掲載する日本語の月刊紙「ニューズレター」を発行し、個人および団体に無料で配布してきました(1975年からは現在の「放影研ニューズレター」)。1995年5月号からは隔月発行となり、必要に応じて特別号を発行しています。また、1996年7月号からは、元・現職員間のための所内報として模様替えし、現在にいたっています。

「放影研年報」

ABCCの研究活動状況、運営記録、および様々な出来事を記録した日英両文による年報の出版は 1957年の George B. Darling 所長の就任から始まりました。初めは日英両文併記でしたが、1982年から英語版と日本語版を別々に発行し、無料で個人、研究所、および図書館へ送っています。余部は図書資料課 資料係が保管しています。

1950年から1957年には、研究編と管理運営編に分かれたABCC半期報が英文で出版され、1950年と1951年には四半期報も出版されています。わずかですが、これらの出版物は図書資料課 資料係と図書室に保管してあります。

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