網状赤血球からのメッセージ
ヒト体細胞遺伝子突然変異が放射線量に伴い増加するという以前得られた所見を、放影研研究員が幼若赤血球である網状赤血球を用いて検証
放影研放射線生物学部 京泉誠之、秋山實利
この記事は RERF Update 6(3):5, 1994に掲載されたものの翻訳です。
1986年1月下旬に、放影研の放射線生物学部は、当時米国 Lawrence Livermore研究所 から来訪していた Ron Jensen、Virginia Mason 研究センターからの Mike Bean 来所研究員、放影研の中村典研究員および筆者らを含む5人の研究者の興奮で満ち溢れていた。その時我々は、暫定1965推定線量(T65D)と原爆被爆者のグリコフォリンA(GPA)突然変異データの関係を示す図を描いていた。その5カ月前に我々は、Ron Jensen とその同僚である Rich Langlois および Bill Bigbee に、30人の被爆者から得られた血液試料を、放射線量に関する情報を伏せて送付し、これら被爆者のGPA突然変異頻度を測定してもらっていた。驚くべきことに、我々の目の前にある図は、突然変異が線量に依存して増加することを示していた。研究室にいた全員が、これはヒトにおける放射線に起因する体細胞突然変異を示す最初の証拠であることを認識した。特に Ron Jensen の興奮は大きかった。それは、同人のアッセイを用いて検出された赤血球変異が、放射線などの遺伝毒性因子により引き起こされていることをデータが示していたためである。その1年後、得られた結果はScience誌に掲載された(236:445-8, 1987)。
それ以降、GPAアッセイは、過去の放射線被ばくを測定するための信頼できる方法の1つとして広く認められるようになった。放影研において我々は、原爆被爆者およびその他の放射線被ばく者に関する大規模調査用の 改良型GPAアッセイ法 を確立した(Cancer Res 49:581-8, 1989)。
幼若赤血球細胞がRNAに関する手掛かりを提供
しかし、1つの問題が残った。赤血球には核がないので、突然変異遺伝子を解析することができなかったのである。従って、GPA陰性の赤血球が抗体染色のエラーにより人為的に生じた可能性が残された。このアッセイが開発された後の7年間に、バイオテクノロジーは著しく進歩し、ポリメラーゼ鎖反応(PCR)によって、少量の血液からDNAまたはRNAを増幅することが可能になった。最終的に我々は、末梢血液中の総赤血球数の約1%を占め、様々な量のメッセンジャーRNA(mRNA)を含むことが知られている網状赤血球を用いることにした。我々は、網状赤血球に残された僅かなGPAの「メッセージ」がPCR法を用いて増幅できるのではないかと考えた。
赤血球は120日ごとに入れ代わるので、被爆者における放射線に起因するGPA突然変異は骨髄で作られる多能性幹細胞に由来するはずである。成熟突然変異赤血球は、突然変異CD34+赤血球前駆細胞(BFU-E)から赤芽球期および網状赤血球期を経て分化してくる。細胞表面上におけるGPA分子の発現は、赤芽球期の初期に開始されるので、その後産生される網状赤血球突然変異の検出が理論的に可能であると考えられた。
網状赤血球におけるGPA突然変異の解析を行うために、我々は Percoll密度勾配遠心分離 を用いて末梢血液中の網状赤血球を濃縮した。その後行ったフローサイトメトリーによって、低密度分画の細胞の60%から70%が様々な量のmRNAを発現する網状赤血球から成ることを確認した。
本年(1994年)の放影研専門評議員会で発表されたように、網状赤血球におけるGPA mRNAを検出するために、逆転写-ポリメラーゼ鎖反応(RT-PCR)法を開発した。2段階のRT-PCR法を用いることによって、成人末梢血から得られたわずか100個の網状赤血球からGPA mRNAを抽出することができる。
この方法を用いた予備的解析のために、Nφ突然変異の頻度が極めて高い(約300×10-6)1人の原爆被爆者から得られ、Percoll装置で濃縮された網状赤血球を解析した。この被爆者から正常網状赤血球およびNφ突然変異網状赤血球を選り分けて採取した。RT-PCR法を用いると、正常網状赤血球は、制限断片長多形性(RFLP)解析によってN型およびM型のGPA mRNAを発現することがわかった。これに対して、Nφ突然変異網状赤血球には、N型のGPA mRNAのみが発現し、M型のGPA mRNAは発現しない。
このように我々は、セルソーターで検出されたGPA突然変異が真の遺伝的突然変異であり、抗体染色による人為的産物ではないことを初めて証明した。また、これらのデータは、原爆放射線がGPA遺伝子に非産生型突然変異 – おそらくは遺伝子欠失 – を誘発したことを示唆している。この推論を確認するために、突然変異頻度が高いその他の被爆者についてもこの網状赤血球調査を実施したい。
赤血球前駆細胞の試験管内放射線照射
上記とは異なる方法であるが、我々は、赤血球前駆細胞(BFU-E)の試験管内放射線照射 によって赤芽球にGPA突然変異を発生させようと努力している。赤芽球突然変異はX線照射によって誘発し得ることを予備的データは示唆している。2段階のRT-PCR法によって、1個の赤芽球に産生されたGPA転写産物を検出できるので、放射線により誘発された赤芽球突然変異体のGPAについてのメッセージを1個の細胞のレベルで解析することができる。赤芽球突然変異の分子解析の結果について近い将来報告するだろう。
この実験系を用いた結果に基づいて、試験管内線量反応と被爆者の線量反応を比較し、また被爆者の網状赤血球を用いて赤芽球におけるGPA突然変異の分子レベルの性状を更に詳しく調べることができるかもしれない。このような系統的アプローチによって、放射線に起因するGPA突然変異の特徴を分子レベルで究明することが可能であろう。