1991年度Grant Taylor記念講演

生物学と社会:人類初の核兵器実験トリニティの遺産

放影研常務理事 William J Schull

毎年開催されるテキサス大学 Grant Taylo r記念講演は同博士の栄誉を称え、ヒューストン市の慈善家で医師である John McGovern氏 により創設された。 Taylor博士は 1949年より 1953年までABCCの所長を務めた。帰国後はテキサス大学の MD Andersonがんセンター に入所、同センターの小児科部長、そして後には生涯教育部長を務めた。1991年度の記念講演は社会全般、とりわけ Update 誌読者に関係した内容であったため、その要約を特別記事として今回掲載した。Schull博士 はヒューストン市にあるテキサス大学保健科学センターの遺伝センター部長である。RERF Update 3(3):S1-S4, 1991に掲載されたものの翻訳です。


科学は社会にとって本質的に有害なのだろうか。一部の人はそう考えているようだ。「技術革新の真実」は隠されているが、それは事実により隠されているのではなく、心配はするが無関心な大衆に、研究者がその事実を明確に伝えることを怠っているからではないか、と著者は問う。

1945年7月16日月曜日、午前5時29分45秒、初の核兵器テストがその射撃演習場で実施された。トリニティの暗合名で呼ばれたこのテストは恐ろしい成果をもたらした。それはある意味で素粒子物理学の究極的証明であったが、一方で、ジャーナリスト、大衆、研究者そして我々が選んだ代表者に見られることになる一連の愚かな行為と偽善の始まりでもあった。このように言えば、何もかも十把一からげにしているように聞こえるかもしれないが、現在の世界におけるすべての弊害が、戦争時のあの一原子の核分裂に起因していると言っているのではない。しかしあの核分裂後に起こった出来事が、来るべきあるいは現在すでに生じている出来事を象徴していることを私は確信している。そして我々は自分自身十分知ろうとしなかったこと、直面している問題について理にかなった議論を奨励しようとしなかったこと、また、自分たちが知っていることを広く伝えることを怠ったことにより、我々一人一人すべての者がこれらの悲しい出来事に直接または間接に原因となっていると信じる。

 

毎年開催されるテキサス大学Grant Taylor記念講演はABCC第2代所長である同博士の栄誉を称えたものである。左上よりGrant Taylor博士(1990年)。広島研究所を訪問したEleanor Roosevelt元大統領夫人を見送るTaylor博士(1953年6月9日)。左下、筆者。

トリニティ核実験でその極に達した一連の科学的発見は邪悪な心によるものではなく、知りたいという好奇心の産物だった。1911年に原子核を発見した Rutherford は、そこからエネルギーが得られるとは信じていなかった。Enrico Fermi、Otto Frisch、Otto Hahn、Lise Meitner、Fritz Strassman の核物理学への独創的貢献も、最も重量のある元素の1つであるウランに中性子で衝撃を与えた際に起こる複雑な結果をただ理解しようとしたことから生まれたものである。彼らの好奇心がなかったなら今日の物理学および医学は相当異なったものになっていただろうと言っても過言ではない。過去40年間の生物医学分野におけるほとんどすべての重要な進歩は、放射性同位元素を用いた実験によるものである。しかし実情は Robert Crease と Nicholas Samios が言ったように、「残念なことは、科学的発見の有用な効果は、しばしば社会の中へ完全に取り込まれその根底の一部になっているので、当然のことと考えられるのに対して、科学的発見の有害な応用は往々にして、科学の行為そのものと見なされることである。」(Atlantic Monthly, January 1991, pp 80-88)

 

ジャーナリストと報道機関

この新たな核時代が到来したとき、電離放射線照射の長期的および短期的影響について一般の素人も研究者も同じ様に十分に知らされていなかった。一般大衆の主たる情報源は活字とラジオだった。ジャーナリスト、とりわけ活字ジャーナリストの影響力は今日よりも大きかったが、残念なことに既知および未知のことについて慎重に考えて記事を書くことはほとんどなかった。他方で根拠に乏しい憶測には事欠かなかった。たとえば、広島・長崎には今後何世紀も人が住むことができないとか、動植物の奇形の怪物が異常発生するとか、爆発直後の被害を運よく免れたとしても徐々にむしばまれて必ず死に至るなどである。これらの憶測は実現しなかったし、実現する由もなかった。

これらの記事は単にその時代の異常性を反映しているのではない。チェルノブイリ原発事故でも同様に信用するに足らないような主張が見られるのである。その他にも事実を無視し、真実に無関心な記事の例がある。一例をあげれば、日本で発表された最近のAP通信の見出しは次のようなものだった。「1990年米国の原子力発電所で起きた事故は 約2,000件」 1990年当時米国で稼動していた商業用原子炉の数は 111基に過ぎなかったので、これは誠におそまつな安全記録であり、また最も肝のすわった者でさえ不安にするように考えられた見出しに思える。しかしその記事を読んでいくと、大衆の健康と安全に悪影響を及ぼす可能性のある事故は 2,000件中 38件であることが判明する。これらのいわゆる事故のうち、多くは単に米国政府の安全基準に抵触したものであり、中でも多かったのはアースされた放電用具の取付けを怠った例である。この事実は用心深い、心配性の一般大衆に知らされることがなかった。

実際に事故が起きたとき、我々がいち早く目にする新聞記事には両極端な見解が載っているものである。リスクを否定したり即座に過小評価するマスコミがある一方で、まだ情報を入手していないのに、その事故が一般人の健康状態にさほど影響を及ぼさないと伝えはしないかと、先走りしてそんな情報は信じられないというグループもある。チェルノブイリ原発事故に関する国際原子力機関(IAEA)が最近慎重に行った調査でさえ、即座に「科学的に取るに足らない」と烙印をおされた。このことばは特別な意図をもった人たちの威かし戦術の役には立たなかった。事実を正しく解釈できる誠実な科学専門記者のいる新聞がほとんどないために、あるいは売れる記事を書きたいという抗しがたい衝動があるために、このように人を扇動するのか、議論の余地あるところである。しかしこれら浅薄なマスコミ発表よりさらに嘆かわしいことは、調査機関や科学技術に対して、また、お互いに対しても不信感がはびこっていることだ。数年前中国で巨大ダムが決壊し25万人が犠牲となったことがあったが、これを報道した米国の新聞は皆無に等しかった。これを何と解釈すべきだろうか。報道に値しない事故と思うべきか、それとも選択的報道の一例であろうか。


大衆

約2世紀も前になるが Jefferson 第3代米国大統領は次のように記した。「社会の最終的権力を最も安全に保管する者は大衆自身のほかに私は誰も知らない。たとえ健全な判断力をもって権力を行使するに足る聡明さが彼らに欠けていると思っても、そのための対策は、彼らから判断力を奪うことではなく、判断力を啓発することである。」しかし、この賞賛すべき意見を実行に移すことはたやすくはなく単純でもない。大衆が読む能力や興味を失い、30秒区切りにテレビから情報を得ようとしているような時代にあっては特にそうである。今や問題は、大衆から判断力を奪うことではない。大衆が自分たちよりほんの少しだけ余計にしか情報をもっていない人たちに自ら進んで判断力を委ねていることである。

1980年のスリーマイル島原発事故、そして 1986年のチェルノブイリ原発事故が発生するまで多くの人々は原子力に付随する危険を無視するか、些細なものと見なしてきた。しかしこの2つの事件により原子力発電産業の安全性に対する考え方は一変した。以前はほとんどの人々がほぼ無警戒に認めていたものが、今や考慮することはおろか議論の余地さえないほど危険なものと見なされている。これでは世界のエネルギー生産における原子力の役割について理性的に議論することはほとんど不可能である。それでも地球の温暖化および化石燃料の使用が取りざたされる中、原子力が果たすことのできる何らかの役割があるとすれば、国のニーズと原子力に伴う危険を天秤にかけながらそれを探らなければならない。そのために必要なのは情報に通じた大衆、情報に根ざした判断の基礎となる事実に精通した大衆である。

大衆の原子力の危険に関する知識が極めて混乱している中で、いかにしてこの理解ある状態に達することができるかはさだかでない。例えば数年前にオレゴン州の女性有権者同盟の会員が、30の事業と技術に関連し危険認知度を順位付けするようアンケートを実施したことがある(P Slovic, in: Proc 15th Annual Meeting of the National Council on Radiation Protection and Measurements, Bethesda, Md, NCRP, 1979, pp 34-56)。原子力は自動車の使用よりも大きい危険を伴うと順位付けされていた。しかし自動車事故による死亡者は米国で 毎年4万5千人以上であるのに対して、原子力に起因する死亡は片手で数えられるほど少ないのである。皮肉なことに30の事業と技術中最も有益なものは電力で、自動車の利用よりも相当高い順位であった。

他の国々で実施された類似の調査でも同様の結果が出ている。1988年にフランスで行われた全国調査では原子力発電所に関連したリスクはウラン採掘より大であるとの回答があった。しかし、採掘業(ウランまたは他の鉱石にかかわらず)では毎年、どの国でもすべての原子力発電所よりも多くの死亡者がでる(MH Barny et al, Nucleaire et opinion publique en France: donnes sur les dechets radioactifs. Evolutions depuis 1977. Paris: Institut de Protection et de Surete Nucleaire, DPS/SEGP, Note LSEES 90/10. 1990)。さらに、原子力発電所に関連したリスクは診断または治療目的で照射された放射線から生ずるリスクよりも常に大きいと考えられている。しかし実はここでも、初期がんに対する放射線療法後の第二次悪性腫瘍リスクの方が核施設作業者における放射線に関連したがんのリスクより数段大きい。

特定の事業活動に関連したリスクの認識の程度を決定する要素は何であるか、いまだよく知られていない。しかし個人の意識が次のような多くの要因に拠っていることは明らかである。すなわち、リスクをどのように見るのか、本人の意思によるものなのかどうか、継続的か突発的か、制御可能かそうでないか、新しいか古いか、急性か遅延性か、致命的かそうでないか、等々。この認識が実害の知識に左右されていることも明らかである。核技術者の方が環境保護者よりも原子力施設の近くに住むことをはるかにいとわないという調査結果が出ている。事故が生ずる可能性について核技術者の方が環境保護者よりもよく知っているはずである。明らかに何らかの方法でリスクの認識と現実との差を埋める必要がある。

自分の認識がいかにして形成されているかをもっと自分で理解するまでは、教育だけでは役に立つとは思えない。過去10数年間、原子力拡大に対する反対がすべての国々で多かれ少なかれ起きているが、他国よりも比較的多くの核エネルギーを産出しているフランスでは組織的反対が少なく、明らかに他国の場合ほど過激ではない。そして日本では核兵器に反対する声が際立って大きい。意識的・無意識的にせよ、これらの国はどのようにしてこの結果に至ったのか。これらの国民が他の国より多くの情報を得ているわけでもない。では、より独裁的な官僚制度を反映しているのだろうか。あるいは日本の場合、物事を決定するときの日本の特徴である意見の一致追求のなせる業か。

 

科学者と科学

研究者側も怠慢であった。殊に重大なのは、核エネルギーについての利益と害を理解しやすい言葉で伝えることに失敗していることだ。その知識は手に入るのに、それを伝えることに失敗したため、噂と誤解と、そしてまったくの作り話の温床ができてしまった。1948年に始まった広島・長崎の原爆放射線被ばくの健康への後影響の調査は中断することなく継続され、多くの情報をもたらしている。

これら調査の所見を簡単に要約すると次のようになろう。様々ながん(白血病および乳癌、結腸癌、食道癌、肺癌、卵巣癌、甲状腺癌、唾液腺腫瘍、胃癌、膀胱癌、そして多発性骨髄腫)に起因する死亡率は線量増加にともなって高くなる。リンパ腫として知られるリンパ節のがん性腫瘍による死亡率増加はいまだ確かではなく、多発性骨髄腫の場合と同様に、被ばくからこの悪性疾患発生までの期間が長いのであれば、今後もしばらく未確認状態が続くかもしれない。

現在ある証拠ではまだ脳の悪性腫瘍の増加が示唆されているとは言えず、脳以外の中枢神経腫瘍に関してははっきりしない。死亡率についての所見からみると、肝臓癌が増加しているか否かは分からない。データをいわゆる原発性のがんのみに限定した場合、線量に伴う有意な肝臓癌増加はない。しかし「不特定」と書かれたがんを含めた場合、線量に関連した増加が見られる。肝臓は、乳房や肺など他の部位に発生するがんが転移しやすい個所であり、「不特定がん」は転移性腫瘍で、放射線影響の現れることが知られている他の臓器のがんとみなすべきかもしれない。

骨、胆嚢、鼻・喉頭、膵臓、咽頭、前立腺、直腸、黒色腫を除く皮膚、および子宮の癌を原因とする死亡の増加は観察されていない。

通常、人があるがんの一般的発病年齢に達したとき、被ばくから死亡までの期間の分布が線量により異ならない場合には、白血病以外のがんによる死亡率は有意に増加する。しかし、それは個々の原爆時年齢に依存する。白血病以外のがんリスクは、原爆時年齢が0-9歳、または10-19歳の被爆者の場合は他よりも大きい。しかし、これらのリスクは減少傾向にあり、特に原爆時年齢0-9歳のグループで有意である。胎内被爆者における幼児期がんの増加は観察されていないが、それ以後のがん頻度は増加している。しかし胎内被爆者はがんの自然発生率が急激に増加する年齢にようやく達し始めたばかりで、データはまだ限られている。したがって被ばくリスクの影響の全貌が十分な正確さと信頼性をもって評価されるまでにはまだ何年もかかるだろう。

以上述べてきたことは専門家以外にはほとんど意味がないことかもしれないが、放射線被ばくの結果、これらのグループに発生した他のがんである白血病を考え合せれば、もっと意味あるものにすることができる。1950-1985年の間に調査対象 約7万6千人のうち、白血病による死亡は 202人であった。そのうちの 59%にあたる 119人は放射線に起因していた。同期間中、白血病以外のがんによる死亡が 5,734人あった。その 約8%に相当する 459人は放射線が原因と考えられている。これと比較し得る数字は、1950年の国勢調査で確認された被爆者 28万4千人について、白血病による死亡 386人(うち191人が放射線に起因)である。白血病以外の悪性疾患による死亡は 10,421人であり、そのうち 833人が被ばくによる。放射線に関係したがんと他の原因によるがんを区別するのは現在不可能であるので、これらは推定値である。しかし、がんで死亡する被爆者のほとんどは、彼らの毎日の生活習慣(タバコ、飲酒およびまだ解明されていない要因との接触)の結果であり、原爆放射線に被ばくしたからではない。 リスクはがんのみではない。最も心が痛むのは胎内被爆者における重度の精神遅滞の増加であり、特に妊娠8-15週目の胎内被爆者に顕著である。1Gy以上の被ばくをした人の 4分3近くが重度精神遅滞者である。

これらの調査が開始された頃、原爆放射線被ばくがもたらし得る遺伝的影響への一般の関心はがんに対してと同じくらいか、またはそれ以上だった。将来親となり子をもとうとする者にとって、はなはだしい身体障害を有する子供が生まれることを考えることは心安からぬことだったが、避けられたかもしれない被ばくにより異常な子供が生まれるかもしれないと考えた時、不安は一層大きくなった。その結果、広島・長崎両市の原爆被爆者の2世ほど詳細に、長期的にそして徹底して調査されたヒト集団はこれまでにない。

新しく発生した突然変異を発見すべく様々な方法が試みられてきた。例えば、生命を脅かしたり社会的に障害となる先天的欠陥および若年死の発生頻度、染色体の性質、あるいは様々な細胞酵素および通常血清中に存在するタンパク質の生化学的構造や活性の変化の追求など。それぞれ異なるこれらの方法も目的は一致している。すなわち電離放射線被ばく後の突然変異発生の確率を推定して、測定した突然変異増加の公衆衛生的意味合いを決定することである。これらの様々な調査は、いかに労苦を惜しまず、徹底したものであったとしても、その目的に到達する度合は一様でない。というのは遺伝子などの一次産物を測定する調査もあるが、遺伝子の活動する分子または細胞レベルから相当かけ離れた特性を探るような調査(公衆衛生的意味合いは大きいのだが)もあるからである。こうした事実にもかかわらず、集積されたデータからはヒトの電離放射線被ばく後に伝達された遺伝障害の最も鮮明な画像が得られる。しかしながら、放射線に関連した遺伝障害のはっきりした証拠はここでも得られない。 

有意な影響が見られないことを、親が原子放射線に被ばくしても突然変異は誘発されない証拠であると解釈すべきではない。その理由として少なくとも次の二つが挙げられる。まず、適切な状態で実験されたすべての動植物には突然変異は観察されており、電離放射線被ばくしたヒト遺伝子が変異を起こさないと考えるのは理にかなっていない。次に、統計学的に検定可能な二つ以上のグループ間の差異の大きさは、観察が可能であった回数、調査している事象の「自然の」頻度、およびグループ間で得られる差異により決定する。したがって、ある調査がいかに適切であったかということが問題となる。言い換えれば、7万6千人の幼児(うち半数のみ片親または両親が被ばく者)の調査の場合、有意義とみなすためには差異の大きさはどの程度でなくてはならないのか。

ここに述べたような臨床調査では、重度の先天異常発生率が通常の2倍、死産もしくは新生児の死亡が約1.8倍に達することが判明するだろうと言うに止めておこう。ここで言う重度の先天異常、すなわちこれらの調査下で出産時またはその直後に判明する異常は、少なくとも受胎後7カ月続いた妊娠100例中約1件の割合で発生する。親の電離放射線被ばくの結果この割合が1: 50であったならば、被ばくの事実は認識されていただろう。忘れてならない重要なことは、発見される先天異常の頻度は、利用可能な検査装置および対象児童を調査した期間に依存するということである。出産数日後に行われた検査からは対象の精神・運動遅滞のほとんどは発見されないであろうし、同様に、チアノーゼが介在せず、ある程度成長してからでないと通常発見されない先天的心臓障害の多くもわからないだろう。

前にも述べたように、広島・長崎で調査が開始された当初、原爆放射線被ばくにより発生し得る遺伝的影響への一般の関心はがんの場合と同じくらいか、またはそれ以上だった。しかし時間の経過とともに、徐々に関心はがんの方へと移行していった。これは明らかに遺伝的確証が発見できなかったこと、また、がんに関するもっと劇的な所見があったからである。その結果、理解できることではあるが残念なことに、否定的な調査結果も等しく重要であることがないがしろにされることになった。否定的な調査結果は肯定的なものよりも説明が困難である。そういうふうな一つの調査、特に比較的小規模な対象群に基づいた単独の調査では信頼するに足らないだろう。しかし、現在実際には多くの否定的な調査結果が一つだけでなく、数多くあり、しかもそれらはすべてかなり大規模な対象群に基づいている。しかしながら、最終的にこうした調査結果が認められるか否かは、調査計画の幅広さと、その計画がいかに注意深く徹底して実行されたかに左右される。このような考察をしてもやはり、否定的調査結果は一般大衆を安心させるものと見なされるべきである。そして遺伝調査について言えば、調査結果は次世代への破壊的な遺伝的影響への恐怖に対して強く反対の結論を示している。

以上は我々が知っている限りの事実である。リスクの正確な推定のために、必要なことでまだ知られていないことが多くあるのは明らかだ。原爆被爆者の半数以上がまだ生存しており、生涯を通じて被ばくがもたらす結果は不明である。これまでに調査観察してきたことにより、リスクを推測しなければならない。単に被ばく線量の増加にともない特定のがんが増加することだけでなく、それぞれの被ばく線量に対してどれだけ増加したかを知る必要がある。この増加率に関する我々の知識はまだ不十分である。さらに様々な推定方法があるが、それぞれの推定値は微妙に異なってくる。どの方法が最も適切であるか不明であり、大多数の被ばく者が死去した後にならなければ判明しないだろう。

しかし焦眉の問題点は事実にではなく、その事実が十分に伝達されていないことにある。そして等しく重要なことは、社会における科学の役割の認識に先行き好ましくない変化が起きていることである。「マンハッタン計画」の成功をきっかけにして、科学研究をあたかも商売のように扱うことに力が注がれるようになってきた。商売の存続は知識の前進によるのではなく、むしろ製品の方に依存しているのである。この傾向は特に国立の研究所で顕著だが、学術機関でも見られる。規制が数限りなく作られて、その必要性や独創的調査研究が生まれる知的環境へ及ぼすそれらの影響は評価されないままである。

 

我々が選んだ代表者

「マンハッタン計画」の目的は、米政府の委員の大多数には不明であったにもかかわらず、開始当初から明白であった。すなわち可能であれば核兵器を開発することであった。この目的が達成され戦時の敵対意識が収まると、核兵器の設計および開発の監督、既存の武器施設の監視、そして原子力開発促進のための文民による行政機関が必要となった。これらの目的で、1947年米政府議会は原子力委員会(AEC)の設立を承認し、原子力(上下両院)合同委員会の監督下に置いた。米国が唯一の核兵器所有国と思われていた短い期間は事が順調であった。しかし1948年のベルリン封鎖、1949年のロシア初の核爆発実験、そして冷戦の拡大で事態は急速に悪化した。国防は核抑止論に支配され、その結果、より多くの巨大な兵器が必要となったのである。兵器の設計、作り方、およびテストは加速し、その中で安全性はないがしろにされたが、どの程度ないがしろにされたか知っている者は当時ほとんどいなかった。考えてみれば核兵器競争で、核兵器工場または実験場周辺に住んでいた百万もの米国市民が不必要に電離放射線にさらされたかもしれない。こうした被ばくは微量で障害をひきおこすことはないと考えられているが、例えば、ワシントン州のハンフォード施設の風下に住む子供などは、甲状腺癌リスクの増加をはっきりと示すだけの放射線ヨードを摂取していたかもしれない。

大衆からの不満が最初に顕在化したのは恐らく、AECがネバダ核実験場だけでなく実験場以外の放射能レベル測定にも責任があることが認識された大気圏内核実験の頃である。人の言うことをすぐ信用する大衆も、はたして汚染者が汚染の程度を正確に公表すると信じてよいかどうかいぶかった。この対策として、米政府は核実験場外の監視責任を公衆衛生局内に新設された放射線衛生部に移した。しかし信用はすでに損なわれており、やがて変更がほかにもされることになる。米国での石油の輸入依存はますます増加し、そのため1975年にはエネルギー研究開発局が設立され、そこにAECの活動も統合された。このエネルギー研究開発局も長くは続かず、1977年からはエネルギー省に取って替られることになった。

これらの変更とともに、官僚的政治的干渉が入り込み、法的責任と監督責任の分散が見られるようになった。商業用原子力発電所の設立に関する規制は原子力規制委員会の管轄だが、これらの施設以外の場所での規則は環境保護庁が制定する。同様にエネルギー省の場合、同省が管理する施設の安全に対しては責任あるものの、施設外における規則は環境保護庁の領域である。このように監督機関の機構を絶えず繕いもてあそんでいれば、それら機関関係者の士気を損なうだけではなく、それでなくても容易でない決定の引延ばしを助長することになる。現在では比較的多くの専門家がいるにもかかわらず、依然として過去の汚染と放射能廃棄物の処理をいかにするかで四苦八苦している。すっかりおなじみとなった「他所ではともかく私の裏庭では」症候群が話合いと行動を妨げているのだ。

エネルギー消費は世界規模で増加しており、化石燃料の継続使用が地球温暖化に及ぼす影響に対する危惧が高まっている。もはや問題を先送りできない。まず、核エネルギーが人類の将来にとって果すべき役割について意見を統一する必要がある。そのためには我々各人が、読み聞きする情報にもっと批判的になり、事実を検証し、他人の考えや偏見が注ぎ込まれる容器になるのではなく、自身で考えるようになることが必要だ。原子力推進者の主張も、「地球を守る会」のような環境団体の主張もどこか偏った部分がある。これらの団体は独自の行動計画を持ち、情報を持たないか、少しの情報しか持っていない人々の関心を利用して声高に自説を主張する。要は我々が自ら積極的に情報を求め、それに基づいて判断を下さなければならない。これは不可能なことではない。核エネルギーがいかにしてつくられるか、規制活動に関与している様々な機関の役割、起こり得る事故の種類と特徴などをわかりやすく説明した出版資料がある。同様に核廃棄物処理に伴う問題について啓発的な手引書もある。しかし、市民の一員としての我々研究者の側に、判断に必要な情報を伝えるだけの時間と労力を使う用意があるだろうか。

近年の経緯から判断するとこれはおぼつかない。それにしても、結局健全で幅広い支持を得た核政策に至る唯一の道は、集団としての権利と責任の行使に躊躇しない正しい情報を持つ真摯な大衆を通じてなのである。

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