放影研の国際的役割

放射線防護基準の基礎を提供している世界中の調査研究の中でも原爆被爆者の調査は、最も長期にわたるものであり、最も広い範囲を扱っている。

米国放射線防護・測定審議会名誉会長、放影研非常勤理事 Warren K Sinclair

1995年6月に広島と長崎で開かれた放影研20周年記念式典での講演の縮約であり、RERF Update 8(1):6-8, 1996に掲載されたものの翻訳です。式典出席者は、現職員、元職員、市民グループと国・県・市の代表、放影研予算拠出政府機関および米国学士院の代表。

Sinclair


本日は、原爆傷害調査委員会(ABCC)の27年にわたる被爆者調査を引き継ぎ、日米両国による他に類を見ない共同調査を開始した放射線影響研究所の設立20周年を祝うために集っています。これらの調査研究は、電離放射線がヒトに及ぼす後影響について、世界で最も有益と認められている調査結果を生み出してきました。

放射線の「発見」

今年、1995年は、人類が電離放射線をその生活の一要素として認識してから100年という記念すべき年です。レントゲンは1895年にエックス線を発見し、直ちに医学を含む様々な分野でそれを利用しました。1896年、ベクレルはウランの放射能を発見し、それに続いてマリー・キュリーがラジウムを発見したのをはじめ、その他色々な放射性物質が発見されました。放射能および電離放射線は明らかに太古から自然界に存在していたものでありますが、人類はやっと100年前にその存在に気づいたのです。放射能の発見は原子物理学分野への道を開き、またラザフォードらによる原子の構造・構成の(実に核それ自体の)理解を時をおかずして可能としたのです。

今日、放射線は我々の生活の中で避けられない存在であり、地球上にバックグラウンド放射線が至る所に存在していることを知っています。ラドン被ばく、地球放射線の外部被ばく、放射線核種による内部被ばく、宇宙放射線の被ばくがそれにあたり、年間一人当たり約3mSvの被ばく量になります(NCRP 第93報, Bethesda, 米国Maryland, 1987年)。低線量で線形反応であると仮定すれば、自然放射線によるがんのリスクは、恐らく1%程度といったところでしょう(つまり、その他すべての原因によるがんリスクの約1/20です)。それに加え、米国では、主に医用放射線など人工的な放射線源により1年当たり平均約0.6mSvの放射線を受けています。

 

放射線の利用について

人類は産業、農業、医療、原子力など広い範囲で電離放射線を利用しており、そのため人工的な放射線源による被ばくの機会がさらに増えています(国際原子力機関、Highlights of Activities, IAEA, ウィーン, 1993年)。多量の放射線および放射能を扱う場合もあるこのような放射線利用には事故は避けられない問題です。しかし、このような広範な使用にもかかわらず、放射線作業では比較的少ない件数しか致命的な事故は起こっていません。1995年までに合計389件の事故があり、約3000人が有意な線量に被ばくし、112人が死亡しています(後にがんにより死亡したと思われる人は含まれていません)(Oak Ridge科学教育研究所、放射線緊急援護センター/事故研修登録センター、米国テネシー州Oak Ridge、1995年)。

世界中で 400万人の放射線従事者が、平均1年当たり 約2mSvの放射線に職業上被ばくしており、これはラドンを除く自然バックグラウンド放射線量の倍に相当します。すなわち、その効果において彼らの放射線によるリスクも2倍となるわけです。

放射線防護に関しての良いニュースは、1960年から 1990年までの間に米国では放射線従事者数は 50万人から 200万人に増加しましたが、「できるだけ低線量に抑える」という考え方やその他の放射線防護関係の圧力を受け、平均被ばく線量は 2分の1以下に減少しました。米国原子力産業界では、その減少はさらに顕著であり、3分の1以上の減少を示しています(1980年の年平均6mSv以上から1990年の年平均2mSv以下まで)。

高線量被ばく事故を除き、今日の放射線防護では紅斑、白内障、不妊症といった直接的かつ確定的な影響については関与していません。それは職業被ばくの場合、線量はほとんど低線量であり、このような影響を引き起こす閾値よりも低いからです。しかし、がんや遺伝的影響などの確率的影響は、低線量被ばく後に低頻度で起こっている可能性もあります。放射線防護上の大きな問題は「一定の低線量電離放射線に被ばくした後、がんの発生頻度(またはリスク)はどうなるのか」ということです。

放射線リスクの情報源はほとんどが原爆被爆者

リスクに関する我々の情報はすべてヒト被ばく集団から得たものです。医用放射線被ばく集団や職業被ばく集団の中には重要な補助的情報を提供している集団もありますが、被ばく集団の中で最も重要なのが広島、長崎の原爆被爆者です。

電離放射線被ばく後のがん誘発は、もちろん後影響です。白血病の最低潜伏期間は 2年間であり、6-8年くらいで頂点に達します。充実性腫瘍の最低潜伏期間は 約5-10年で、その後罹患率は、被ばく後少なくとも 40年まで、がんの自然頻度が年齢とともに上昇するにつれて増加します。

誘発がんのリスク推定値に関する情報を世界中に提供する責を担っている国際機関は、国際連合原子放射線影響科学委員会(UNSCEAR)であり、米国では米国学士院(NAS)の電離放射線の生物学的影響に関する委員会(BEIR)がその責を担っています。これらの機関は全世界の被ばく集団から得られた関連データを審査しリスクを推定します。国際的には国際放射線防護委員会(ICRP)が、また米国では非公式な専門機関である米国放射線防護・測定審議会(NCRP)が、放射線作業従事者および一般市民の被ばく線量の制限に関する勧告を作成する基礎としてこれらのリスク推定値を用います。通常、政府はICRPおよびNCRPの勧告に基づき自国の放射線防護法規を制定します。

私個人としては、UNSCEARに 1977年の報告書以来、また 1977年以来 ICRP(特に1990年のICRPの勧告草稿の際)にかかわってきました。またそのほとんどの間、NCRPの会長も務め、国内・国際的な両観点から放射線リスクについて取り組んできました。

米国が主として資金拠出していたABCCと、その後の放影研が 1961年から 約4年ごとにそのプログラムにおけるがんの過剰死に関する疫学的データを解析してきました。これらのデータは UNSCEAR および BEIR委員会 の定期的な基礎情報となっています。リスク推定値とは、実際はリスク係数を意味し、単位人口当たりの過剰がん症例数をその過剰を引き起こしている線量によって割ったものであることに留意すべきです。したがって線量もまた重要であり、NCRP や NAS の委員会からの要請もあって、放影研の線量調査プログラムに関して期間を置いて注意深く評価が行われています。1986年線量推定方式として知られる最新の改定方式を放影研で使用することは、日米両国の線量推定委員会によって承認されました。
UNSCEARが使用できるがんリスク情報の範囲は時とともに拡大してきました(表1)。 主にABCC-放影研の寿命調査からではありますが他の調査からも補助的な情報を得ています。年を追うごとに情報量は増していき、1958年には白血病のみにリスク値があったにもかかわらず、1994年には約10の臓器と「その他」に関して個々のリスク値があります。1988年と1994年の報告では全がんについての推定生涯リスク(高線量率)は、10%-12%/Svでした。1990年までのデータを扱う寿命調査第12報が1996年に完成し発表されても、この数字はあまり変わらないと思います[Pierceら, Radiat Res 146:1-27, 1996]。BEIR委員会もUNSCEARと同様の評価を行っており、全体的に似通ったリスクを算出しています。

なぜ放影研の寿命調査が他の放射線関連の調査よりも重要なのか?

1985年現在の全がん死亡者数の要約によると、約6000例のがん死亡のうち339例が過剰がん死亡でした。この数字は統計的には大きな数字ではありません。特に個々のがん部位の内訳をみればなおさらです。

しかし、寿命調査は、その対象者数およびその人たちが被ばくした線量の範囲(高線量域に及ぶ)という点で、次の事項を行うには他の調査よりも勝っています。

  • 全がんに関するリスク推定値、死亡率、罹患率を出す。
  • 10から20の臓器それぞれのリスク推定値を出す。
  • 線量反応曲線の形状を示す。
  • 統計的に有意なリスクが見られる最低線量を見つける(寿命調査第11報: 0.2 Sv; 寿命調査第12報: 0.05 Sv)。
  • 年齢や性別などの変数の影響を探る。
  • 原爆時年齢が0-9歳および10-19歳の若年被爆集団を追跡調査する。
  • 充実性腫瘍のリスクが時間とともに減少するかどうか、また潜伏期について明らかにする。

ICRPが解釈しているように、職業被ばく調査(米国、英国、ロシア)の初期の不正確な結果に見られるリスクデータが寿命調査のそれと似通っていることが分かってきました(UNSCEAR 1994年)。これは重要な確証です。
寿命調査が強力なのは全がんのリスク推定だけのためではありません。1994年度のUNSCEAR報告書では、できるだけ多くの情報提供源から個々の部位別リスクについて検討しています。乳がんをはじめとし、いくつかの部位については情報数はかなりのものです。全調査から得られた平均リスクは、寿命調査の値とほぼ同じで、それが基準となり他のすべての調査が計られています。

放影研寿命調査は、がん誘発に関してのみ強力なわけではなく、がん以外の影響に関する情報も提供しています。その情報とは、急性影響、胎内被爆者の精神遅滞、がん以外の後影響、遺伝的影響などです。ここでは寿命調査によるヒトに対する影響調査にのみ触れていることを申し上げておきます。プログラムの一部を占める放射線生物学などその他の重要な調査を含む放影研全体の研究プログラムについて申し上げているわけではありません。

 

がん死亡リスクデータの応用について

放影研寿命調査リスクデータは常にリスク推定値の基準であり、以下の基礎を形成してきました。

  • 放射線作業従事者のための基準
  • 一般市民のための基準
  • 様々な状況における因果関係の確率推定
  • 事故の大きさの推定
  • 一般市民に対する環境被ばくリスクの推定
  • 核実験などにより被ばくした兵士や市民のリスク推定
  • 胎児期被ばく者など特定の集団における影響の推定(精神遅滞など)

恐らく最も重要な応用法として、低線量放射線防護基準の根本原理を挙げることができます。1988年までに収集された放影研寿命調査データに基づいてリスク推定値が変更され、そのために、1990年に、実に30年以上経って、ICRPは(そしてNCRPも)放射線作業従事者の限界値を年間平均50mSvから20mSvへ低くしました。一般市民の限界値も同様に低くなりました。

 

将来

1985年までのデータでは寿命調査集団のうち、死亡したのは 39%だけであり、それについて数値が求められました。1990年までのデータを網羅している寿命調査第12報では、その数字は 44%です。将来この数字がどのように変化するかは、日本人集団の特徴(1990年)を見れば簡単に計算することができます。

最も重要な集団として 0-9歳と 10-19歳の集団がありますが、この集団については現在のところあまりよく分かっていません。この集団の人口統計を 表2 に示します。1990年には、この2つの集団で死亡した人はそれぞれ 6%と 14%でしかなく、このグループについての検討を行うことができました。2010年までに 10歳から 19歳までの集団の 44%について検討できると予想されます。それに比べ最若年集団(0から9歳)ではその数字は 20%でしかありません。

私見としては、疫学的および統計学的な調査を少なくともそれまでは継続し、変更修正した形で恐らくもっと長期にわたって調査を続けなければならないと思います。

表2. 最若年原爆被爆者集団における人数の減少(生存者の%)
被爆時年齢
(歳)
1950
1990
1995
2000
2005
2010
2015
2020
0‐9
100
94.0
92.3
89.7
85.8
80.1
71.3
58.3
10‐19
100
86.3
82.6
77.1
68.6
55.8
38.6
20.6
注: 1995年6月、放影研統計部 Dale Preston計算

長期プロジェクト遂行には、調査対象者、科学者、管理者、厚生省や米国エネルギー省といった補助金拠出機関など、関係者全員の忍耐が必要です。特に米国エネルギー省は、円―ドル為替レートの変動を主とする深刻な資金問題を抱えています。しかし、このような困難に負けず、世界の知識の将来のために、放影研の調査が強固な形で継続されなければなりません。

20周年を記念するこの年に、1975年にこの比類なき日米共同調査機関を実現させるために米国エネルギー研究開発庁(エネルギー省の前身)の副局長として、米国側の立役者となった James Liverman氏 の言葉を引用することは、時宜に適っていると思います。氏は「日米共同機関である放影研は、日米の科学における大きな前進であると考えます...そして私はそれを大変誇りに思います」と1995年6月に述べています。

最後に、放影研職員は、この日米により進行中のプロジェクトを見事に成功させ、また放射線誘発がんおよびその他数多くの後影響を理解するために世界的にかけがいのない多大な貢献をされていることをここで申し上げたいと思います。職員の皆さんと原爆被爆者の方々の傑出した協力がなければ、我々はこの重大問題にいまだに悩まされていることでしょう。しかし、若年被爆者集団など、まだまだ学ぶことは多く残っています。

皆様のこれまでの努力に感謝します。将来、皆様が世界の科学界のために行われる事業の成功をお祈りします。

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