原爆被爆者におけるがん罹患率

1994年2月にRadiation Researchが特別号を発行し、放影研のがん罹患の解析を特集した。これは原爆被爆者の死亡に焦点を当てた放影研の定期報告書である寿命調査報告書を補足するものである。

馬淵清彦 放影研疫学部、Dale Preston 放影研統計部

この記事は RERF Update 6(1):3-4, 1994に掲載されたものの翻訳です。 特別号として掲載された4つの文献情報は末尾に示します。


93,000人の原爆被爆者および 27,000人の非被爆者で構成される放影研の寿命調査は、がんリスク推定の主要な疫学情報源である。放影研は 1961年から寿命調査の死亡データの解析を定期的に発表している。しかし、がんの罹患率を取り扱っている報告書は数少なく、それらはもっぱら個々のがん部位を対象にしている。2月発行の Radiation Research 特別号に掲載された 4つの放影研報告書は寿命調査によるがん罹患の全貌を概観した最初の報告書である。以下は 4報告書の要約である。

腫瘍登録の使用

第一部では馬淵らが広島・長崎の腫瘍登録の方法論的側面を記述し、寿命調査集団における罹患率調査データの精度問題に触れている。広島・長崎で1958年に設立された集団ベースの腫瘍登録は、地元病院の医療記録の採録を基本とする積極的な症例確認が特徴的である。このがん罹患率データの精度および有用性の向上に向けての努力については、すでに馬淵および早田がUpdate2(2):5-6, 1990で述べている。

広島・長崎の腫瘍登録は、死亡診断書のみによる情報が9%以下、また70%以上が組織学的に確認されているという点で、日本では最高水準にあり、諸外国の登録に引けを取らない。登録により同定された寿命調査集団のがん症例は、完璧な症例確認、データ精度、および一貫性を保証にするために標準化した一定の手順に従い検討され処理された。また、特別調査および監視プログラムも導入された。種々の層にわたりデータが均一であるので、寿命調査でのがんリスク推定に罹患率データを用いることができることを解析は示している。

 

充実性腫瘍

第二部では、Thompsonらによる充実性腫瘍罹患率データが発表されている。1958-1987年に79,972人中、原発充実性腫瘍と初めて診断された8613人が解析に含まれている。1986年線量体系(DS86)の臓器線量を用いて、がん部位全体だけではなく、21の臓器または器官それぞれについても通常の過剰相対リスク(ERR)モデルに基づく一連の標準解析を行った。各がん部位の解析には、一連のモデルをあてはめた。すなわち、線量効果のないバックグラウンドモデル、効果修飾因子のない線形線量反応モデル、効果修飾因子のない線形二次線量反応モデル、効果修飾因子として各共変量(性、被爆時年齢、被爆後経過時間、到達年齢、市)をそれぞれ含む一連の線形線量反応モデルを用いた。腫瘍登録では登録対象地域のみ限定してがんを確認するので、転出入による影響を調整した(RERF Update 3[3]:10, 1991)。

第二部は全充実性腫瘍の罹患率データの解析から始まる。がん部位全体において、強い線形線量反応が見られたが、線量反応には広島と長崎で有意な差は見られなかった。過剰相対リスクは女性の方が男性の約2倍であり、以前死亡率調査で見られたように放射線被ばく年齢が高くなるにつれて減少した。全充実性腫瘍のERRは、若年被爆者群では時が経つにつれて減少するが、年齢が高い被爆者群ではほとんど一定である。全被爆時年齢の平均ではERRは被爆後経過時間とともに減少する。

また、第二部では部位別がんの解析結果にも触れている。以前の解析結果と同様に、統計的に有意な過剰リスクが、胃、結腸、肺、乳房、卵巣、膀胱、および甲状腺のがんに見られた。原爆放射線の影響が唾液腺腫瘍にも観察され、以前の罹患率調査結果を補強している。寿命調査集団で初めて放射線と肝がんおよび黒色腫以外の皮膚がんとの関連が明らかにされた。口腔、咽頭、食道、直腸、胆のう、膵臓、喉頭、子宮体、子宮頸、前立腺、腎臓、腎盂のがんでは有意な線量反応は見られなかった。調査したがん部位には都市間差は見られなかった。肺を含む呼吸器系がんおよび泌尿器系がんに関しては、女性の過剰相対リスクは男性に比べて有意に高かった。唾液腺がん、胃がん、黒色腫以外の皮膚がん、乳がん、および甲状腺がんについては、過剰相対リスクは被爆時年齢が高くなるにつれて減少した。

 

白血病、リンパ腫、および多発性骨髄腫

白血病の罹患率への関心は原爆被爆者の調査が始まって以来高く、第三部では Prestonらが白血病とリンパ組織のがんの罹患率データの解析について発表している。この解析では、白血病および多発性骨髄腫の罹患率に関する前回の包括的報告書に加えて、白血病については9年間、多発性骨髄腫については12年間の追跡調査分も解析している。リンパ腫罹患率は寿命調査集団における最初の解析である。広島・長崎の腫瘍登録から得られた充実性腫瘍データのみに基づく第二部とは異なり、第三部では白血病登録により確認された症例も含まれている。白血病登録データの使用により調査期間を1950年まで遡ることができた。今回の調査期間(1950-1987年)の全診断数は、白血病が290例、リンパ腫が229例、多発性骨髄腫が73例であり、解析はDS86推定線量が0Gyから4Gyの広島・長崎に居住する者に発生した原発性第一腫瘍に限定して行った。

過剰絶対リスクについては、時間に依存するモデルを全調査対象疾患および急性リンパ球性白血病(ALL)、急性骨髄性白血病(AML)、慢性骨髄性白血病(CML)、長崎特有の成人T細胞白血病(ATL)など特定の種類の白血病に適用した。慢性リンパ球性白血病の症例数は統計的に有意な解析を行うには少なすぎた。リスク推定には年齢、時間、性、および白血病のタイプを考慮することが重要であることを報告書は力説している。ATLを除く全タイプの白血病に放射線誘発リスクがあることを示す強力な証拠があるが、被爆時年齢、性、被爆後経過時間別線量反応とリスクパターンに、有意な白血病タイプによる差が見られた。AML線量反応関数は非線形であるが、他のタイプの白血病については非線形ではないとする証拠は見られない。過剰リスクの程度および経時的パターンに関しては男女間で有意な差があることを結果は示唆している。現在の解析では多発性骨髄腫について過剰リスクがあるとする証拠は認められていないが、男性ではホジキンリンパ腫のリスクが増加していることを示す証拠が若干ではあるが観察されている。

 

罹患率データと死亡率データの比較

第四部でRonらは、リスク推定に際して罹患率データを考慮することの重要性を、罹患率と死亡率の調査結果に見られる主要な違いを比較することにより明確にし、強調している。広島・長崎腫瘍登録から得られた罹患データは、期間は1958年以降に、地域は登録対象地域に限定されている。これに対して、死亡データは全国的なレベルで1950年以降について入手することが可能である。1958年から1987年に広島・長崎の寿命調査集団で原発腫瘍(造血器系癌を含む)の初めての罹患が9014例確認されているが、がんによる死亡は、全国で1950-1987年の期間中7308例、広島・長崎では1958-1987年に5859例だった。口腔、咽頭、皮膚、乳房、男女生殖器、膀胱、甲状腺などのがん部位では、罹患例数は死亡例数の2倍以上だった。全体的結論として、どのがん部位に有意な線量反応が見られるかは、罹患率および死亡率データは一致している。胃、結腸、肝臓(死亡診断書に特記してない場合は原発肝癌または肝癌と定義)、肺、乳房、卵巣、膀胱の全固形がんでは罹患率データまた死亡率データ共に有意な過剰リスクを示した。咽頭、直腸、胆のう、膵臓、鼻腔、喉頭、子宮、前立腺、腎臓のがんでは、罹患率、死亡率共に有意なリスクは見られなかった。不一致が見られたのは、死亡率データでは有意に上昇したが、罹患率データでは上昇しなかった食道がんと罹患率データでのみ有意に上昇した黒色腫以外の皮膚がんのリスクのみであった。罹患率で過剰が見られる唾液腺がんと甲状腺がんは、初期の死亡率解析には含まれていなかった。

全充実性腫瘍に関しては、罹患率データに基づく推定過剰相対リスクは死亡率に基づく過剰相対リスクよりも約40%高い。さらに罹患率に基づく過剰絶対リスク(EAR)は死亡率に基づく推定値の2.7倍である。がん部位の中には罹患のリスクと死亡のリスクの差が大きいものもある。これらの差は幾つかの因子によるものだが、主に乳がん、甲状腺がん、皮膚がんなどの比較的非致死性のがんが罹患率調査でははっきりと現れているからであろう。 罹患率データと死亡率データは共に重要である。

これら最近完了した包括的な寿命調査がん罹患率データの解析は、放射線に関連したがんリスクについて貴重な新情報を提供している。特に致死性のがんについては、罹患率データは寿命調査死亡率の主要な所見を支持しており、原爆被爆者の死亡率を引き続き調査することの重要性を強調している。寿命調査集団および他の放影研集団では死亡データがほとんど完全に把握されていることが、放影研の追跡調査の強みの一つである。罹患率データにも問題がないわけではなく、特別に注意を払って系統的にデータを収集しなければ偏りが生ずるおそれはある。

腫瘍登録を基盤とする罹患率データが有用であることを現在の調査は示しており、放射線の影響を完全に評価するためにはこれが不可欠である。罹患率データは疾病発生時のリスク推定には強力な手段となり、がんの原因を追求する上で有益な情報を提供する。がんの治療および制御における日進月歩の状況を考えると、罹患率を引き続き調査することの重要性はさらに増してくるであろう。罹患率と死亡率という二つの相補的ながんデータが使用できることで放射線影響に関するより広い範囲にわたる調査とリスクの推定が今可能となっている。

 

文献

  1. Mabuchi K, Soda M, Ron E, Tokunaga M, Ochikubo S, Sugimoto S, Ikeda T, Terasaki M, Preston DL, Thompson DE: Cancer incidence in atomic bomb survivors. Part I: Use of the tumor registries in Hiroshima and Nagasaki for incidence studies. Radiation Research 137S:1-16, 1994
  2. Thompson DE, Mabuchi K, Ron E, Soda M, Tokunaga M, Ochikubo S, Sugimoto S, Ikeda T, Terasaki M, Izumi S, Preston DL: Cancer incidence in atomic bomb survivors. Part II: Solid tumors, 1958-1987. Radiation Research 137S:17-67, 1994
  3. Preston DL, Kusumi S, Tomonaga M, Izumi S, Ron E, Kuramoto A, Kamada N, Dohy H, Matsuo T, Nonaka H, Thompson DE, Soda M, Mabuchi K: Cancer incidence in atomic bomb survivors. Part III: Leukemia, lymphoma and multiple myeloma, 1950-1987. Radiation Research 137S:68-97, 1994
  4. Ron E, Preston DL, Mabuchi K, Thompson DE, Soda M: Cancer incidence in atomic bomb survivors. Part IV: Comparison of cancer incidence and mortality. Radiation Research 137S:98-112, 1994

戻る