胎内被爆者集団

胎内被爆者に関する様々な調査が1940年代および1950年代に実施されました。1960年には、原爆後から1946年5月末までに広島・長崎の市内または近郊で出生した約1万人の記録に基づき、胎内被爆者の「臨床調査」および「死亡率追跡調査」のために二つの重複する固定集団が設定され、調査が開始されました。

「臨床調査集団」は、爆心地から1,500 m以内で胎内被爆した人全員と、性・都市を一致させたほぼ同数の二つの比較群を含む、合計約1,600人で構成され、そのうちの約1,000人は成人健康調査(AHS)の健診プログラムにも含まれています。

「死亡率調査集団」には約2,800人が含まれており、その約4分の1は臨床調査集団にも含まれています。1964年に設定されたこの集団は、爆心地から2,000 m以内で胎内被爆した人全員と比較群とで構成されています。

現在行われている胎内被爆者についての死亡率およびがん発生率に関する調査では、臨床調査集団と死亡率調査集団を合わせた約3,600人が対象となっており、そのうち1,060人に関しては0.005 Gy以上(平均線量0.28 Gy)という推定放射線量が得られています。

戻る