解説・総説シリーズ(CR) 5-92

原爆被爆者の子供の突然変異研究に対する分子遺伝学の応用:ワークショップ報告書

Neel JV,佐藤千代子,Myers R
Mutat Res 291:1-20, 1993

要 約
ワークショップの勧告は、8項目にまとめることができる。

1.ワークショップは、原爆の遺伝的影響に関する従来の調査研究で遺伝的障害の指標として使われた形質のすべてが、より直接的なものと、そうでないものとの差はあるものの、究極的にはDNAレベルの変化にさかのぼるものであるということを認識し、突然変異による傷害についてすでに実質的にスクリーニングされているF1のDNA量を推定する試みは、有用であろうという意見を表明した。

2.最近、「sentinel表現型」をもたらす多数の遺伝子の分子的特徴が解明され、その結果、これらの表現型を考察することによってスクリーニングされ得るDNAの総量を明確にできる可能性が生じたので、特に「sentinel表現型」の発症を中心として、F1の医学的調査を更に行ってはどうかということが、ワ一クショップで提案された。「sentinel表現型」には、微小欠失型症候群や精神遅滞の評価を含む。遺伝病、特に多遺伝子性、多因子性疾患に関する知見がますます増大しているので、F1集団について更に医学的調査(または、健康記録の調査)の実施を考慮すべきである。

3.佐藤博士が説明したDNA検査法を用いて、今や本格的なパイロット研究を開始するに適当な時期であるということにワークショップの意見が一致した。この方法には、変性剤濃度勾配ゲル電気泳動法、挿入/欠失/再配列を検出するための Southernブロッティング法、および、恐らく microsatellite遺伝子座の検出のための高解像力電気泳動法 も含まれる。説明のあった各技法の正確な効率については、数年間の成績を得た後に評価することが必要である。

4.このパイロット研究にどの遺伝子座を選ぶべきかについては、基本的には2つの方法があることが認められた。すなわち、すべての試料を用いて比較的少数の遺伝子座を調べる方法と、試料の一部について、もっと多くの遺伝子(例えば、10ないし15遺伝子座)を調べる方法の2つである。後者の場合、ゲノムの構成を代表するように遺伝子座を選ばねばならない。討議の中で話題となった遺伝子としては、HLA、免疫グロブリン、FMR-1、血液凝固因子VIIIおよびIXをコードする遺伝子座、グロビン遺伝子、数種のVNTRや microsatellite遺伝子座 がある。p53遺伝子も、生殖細胞突然変異スペクトルに関するデータと、この重要なヒト癌抑制遺伝子の体細胞性突然変異分析について蓄積されたデータとを比較検討するために調査すべき重要な遺伝子であろう。適切な遺伝子座の選択については、試料が集められている被爆者群の家族約50組およびコントロール群の家族 50組を用いて検討することが提案された。

少数意見として、放射線誘発突然変異に対して感受性の高い遺伝子についてまず調査を行い、傷害が認められないならば、調査を継続しないという考え方も出された。しかし、現在の知識では、そのような遺伝子の選択は不可能であることに意見が一致した。

5.ワークショップでは、この研究を通じて集団中の変異に関する膨大なデータが得られること、それによって生じるデータベースは複雑なものになることが認識された。したがって、適当なデータベースの設計作業を開始すること、また、データ交換が望ましいという観点から、各国のゲノムプロジェクトのデータベースとの互換性を持ったデータベースが必要であることが勧告された。

6.この研究プログラムの規模の大きさ、および、放影研職員の努力を補足支援できるような研究協力体制が望ましいという観点から、このような共同研究のための実施指針の作成が必要である。そのような指針に関しては、まず、次の3点を考慮すべきである。 a)広島・長崎両市の人々のデリケートな感情を考えると、共同研究はできる限り放影研で実施すべきである。すなわち、分析のために試料を海外に送ることは、試料提供者が放影研に寄せた信頼に背くものと見られるかもしれない。 b)外部研究者のイニシアティブによる共同研究に必要な経費は、全額その研究者が負担すべきである。 c)特定の遺伝子を対象とするいかなる共同研究も、その遺伝子に関連した全試料について研究を行うことを必須とすべきである。つまり、研究者のニーズを満たしても、放影研のニーズを満足しないような形で、特定のDNA配列について利用可能な試料の一部を用いた研究を行うことがないよう措置をとるべきである。

7.この討議を通じて、提案された研究の指針となるような放射線の突然変異誘発効果に関する分子レベルのデータの乏しさが、ワークショップ参加者に明白になり、このようなデータの収集を、どのような形でも最も適当と思われる方法で行うことが勧告された。

8.リンパ芽球様細胞株樹立プロジェクトを完了するとともに、将来の調査研究に備えて、調査集団に属している人々の外科試料や剖検試料の収集に出来る限り努力すべきであるという提案が行われた。

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