解説・総説シリーズ(CR) 2-98

線質の異なる放射線による被曝の細胞遺伝学的証拠としての値:予測、現実そして将来

中村 典, Tucker JD, Bauchinger M, Littlefield LG, Lloyd DC, Preston RJ, 佐々木正夫, 阿波章夫, Wolff S
Radiat Res 150:492-4, 1998

要 約
Brenner と Sachs は理論的考察に基づいて、染色体間交換型異常(2動原体染色体あるいは相互転座)と染色体内交換型異常(環状染色体あるいは動原体を含む逆位)の比(つまり染色体間交換型異常頻度÷染色体内交換型異常頻度:F値と定義する)がLETの高い放射線の被曝の場合にはLETの低いX線・ガンマ線の場合よりも大きくなるとの仮説を提唱した。論文検索の結果、低LET放射線ではF値は10以上であるのに対して、高LET放射線である中性子線やアルファ線の場合には10以下であるように思われた。更に、原爆被爆者において観察されたF値が6近くであったことからBrennerは原爆放射線はその多くが中性子線によるものであろうと示唆した。他方、BauchingerらはLETの異なる種々の放射線を照射した実験結果を発表し、BrennerのF値仮説は支持されないと報告している。

これらの疑問に関して世界の細胞遺伝学者およびBrenner博士を招待したワークショップが1998年2月24日広島放影研において開催された。

参加者の発表結果を要約すると、1Gy以上の線量では、理論的にこのF値仮説は成り立たないし、また現実のF値のデータも、研究者間に大きな違いはあるものの、同じ研究者による結果に関する限りは放射線の種類によるF値の違いは認められない。1Gy以下の線量の場合には、LETの増加に伴ってF値が減少する結果とそうでない結果とが混在する。

X線・ガンマ線に関するF値が研究者間で大きく異なることから、F値に関する研究においては異なる研究室間のデータを直接比較すると結論を誤る。放影研の試験管内実験の結果は、F値は中性子線(5.7および6.5)もX線(6.9)やガンマ線(6.1)と同じであり、被爆者に関する値(6.7および7.1)とも違わなかった。従って、原爆放射線の大半が中性子線によるという仮説は支持されない。

現実問題として被曝放射線の種類を推定する手段としてF値を用いるのは容易ではない。すなわち、1Gy以下の線量という条件がつくと被曝放射線の種類も線量も不明な場合、どの試料がその条件を満たすのか判別が難しい。更に、染色体異常頻度が低いので多くの細胞を検査する必要があり、細胞数が足りない可能性もある。総じてF値は線質を異にする放射線被曝の指標として用いるには実用的であるとは思われない。これに代わるものとしてH値(染色体間交換型異常頻度÷染色体腕内交換型異常頻度)が提唱され、Bauchingerの発表したデータも仮説によく合っていた。しかし、このH値を求めるためには中間欠失型異常を検索する必要があるので、原爆被爆者のように被曝後長い年月を経た場合には技術開発が必要でただちに適用はできない。

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