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阿波章夫先生を偲んで

放影研 分子生物科学部
顧問 児玉 喜明

元遺伝学部長・元研究担当理事補の阿波章夫先生が、2020年7月11日に逝去されました。86歳でした。放影研の研究に対する先生の多大な貢献に感謝を捧げるとともに、謹んで哀悼の意を表します。

阿波先生は1933年、札幌のお生まれです。北海道大学理学部生物学科をご卒業後、同大学大学院理学研究科動物学専攻に進まれ、修了後、理学部研究生、理学部付属実験用動物研究室で文部技官として数年を過ごされた後、1967年1月に原爆傷害調査委員会(ABCC)(現放影研)臨床検査部研究員として広島に赴任されました。1970年臨床検査部副部長、1983年同部長代理、1985年組織改正により遺伝学部部長に就任され、1994年からは研究担当理事補を2度お務めになり、その後昨年まで遺伝学部/分子生物科学部の顧問をされておられました。

阿波先生は放影研における染色体研究の基礎を築かれ、長期にわたりリーダーとして細胞遺伝学研究室を維持、発展させてこられました。また、遺伝生化学研究室(現分子遺伝学研究室)の設立と研究の開始についても大きな役割を果たされました。このことが現在の被爆者の子供さんのDNA調査につながっています。細胞遺伝学研究室の設立当初は、ヒトの染色体研究の歴史もまだ浅く、試薬の面でも技術的にも現在ほど充実しておらず、また所内での体制も整っていなかったことから、さまざまなご苦労があったようです。研究室の最大の課題は、個々の被爆者の推定被ばく線量と染色体異常頻度との間の線量反応関係を証明することにありました。しかし、すでに原爆投下から20年以上を経過していたことから、当時の標準技法であったギムザ法で検出が容易な不安定型異常はほとんど体内に無く、識別の困難な安定型異常しか残っていないという現実がありました。そのため、他に選択肢はなかったことから、阿波先生はギムザ法による安定型異常の分析マニュアルを試行錯誤しながら作り上げていかれました。

これに関しては、国際原子力機関(IAEA)もその技術報告書でギムザ法による安定型異常の分析は推奨しないとしていたくらいですから、このマニュアルの完成には多くの努力と経験の積み重ねが必要だったようです。以後、25年にわたりギムザ法による研究が続けられ、染色体異常頻度が推定線量に比例して増加することが証明されました。後年、FISH法が導入され、ギムザ法とFISH法の結果を比較したところ、ギムザ法による転座(安定型異常の一種)の検出率はFISH法の約70%であることが分かりました。この結果に阿波先生が「間違っていなかった!」と大変満足されていたのをよく覚えています。

阿波先生は第一線をしりぞかれてからも、放影研へ時々遊びに来られ、私の部屋でいろいろな思い出話をされていかれるようになりました。「OOさんはまだいるかい?」。「おられますよ」と返事をすると、その方のところへ旧交を温めに行くこともありました。そんな先生も足の調子が悪くなられてからは少々出不精になり、放影研からも次第に足が遠のきました。昨年、25年前に染色体の研修に来たイギリス人の研究者がご夫婦で再来日し、阿波先生とも是非お会いしたいと、先生のご自宅を訪ね、近くのレストランで一緒に食事をしたのが最後になってしまいました。

先生のお骨は、4年前に亡くなられた奥様のお骨と一緒に散骨されるとお聞きしました。いかにも阿波先生らしい旅立ちではないかと思います。長年にわたりご指導をいただいた愛すべき頑固上司の突然の訃報は深い悲しみでしかありません。心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。