米国ワシントンDCで行われた第9回評議員会の舞台裏

広報出版室長 ジェフリー・ハート

 

6月20日から21日にかけて、米国ワシントンDCで今年度の評議員会が開催されました。以下、評議員会とその舞台裏について紹介します。(評議員会の詳細は、次のURLをご参照ください https://www.rerf.or.jp/information/00008583-2/)。

評議員会は放影研の最高意思決定機関で、米国と日本の評議員で構成されています。評議員会の決定に基づき放影研は運営されているわけです。毎年、広島、長崎、またはワシントンDCのいずれかの場所で開かれる2日間の会議で、評議員会のメンバーは、放影研の多岐にわたる事業の活動報告と将来計画に耳を傾けます。その後、評議員はその報告と計画について詳細を確認し、提言を行います。また、評議員は放影研の理事やその他の重要な役職の任命または再任命も行います。

今年も放影研は、主要な研究プロジェクトや研修プログラム、そして、財務や会計に関する事項について報告しました。また、今後の放影研が力を注ぐべき案件として、原爆被爆者のバイオサンプルの使用に関する外部諮問委員会について説明があり、将来に向けた計画として、設立が決まっている研究資源センターについて報告しました。

私は前回と同様に、放影研の昨年度と今年度のPR活動について、発表しました。メールマガジン「放影研メルマガ」の配信へ向けての作業の進展、出前授業プロジェクトの拡大、Twitterアカウントの開設(@RERF_Japan)、市民公開講座の再開の計画などですが、評議員にはこのようなPR活動に賛同していただいたように思います。

どのような分野のどのような会議でも、成功させるには十分な準備が必要です。放影研の担当者は、数ヶ月にわたり綿密な準備をこの第9回評議員会に向けて行いました。評議員を前にして、我々の将来への想いと同時に、日頃の活動に関して丁寧に説明しました。以前、数年にわたって、放影研の広報活動は効果的ではないと指摘されてきたので、あらゆる事態を想定して準備を行ったのですが、評議員は、我々が進めている方向性に賛同しているようでした。安堵の溜息をついたのは私だけではないはずで、全体的に実りある会議でした。

 

会議参加者とスタッフ(NASの前で)

 

私にとってワシントンDC を訪問するのは二度目でした(最初の訪問は四歳の時)。仕事のスケジュールに余裕はあまりありませんでしたが、わずかに使える勤務時間外の時間にはできるだけ街に出て楽しい時間を過ごすようにしました。日程の最後の日には、ワシントンDCのダウンタウンに位置する、国立肖像画美術館の向かいにあるホゼ・アンドレスが経営する地中海風タパスのレストランZaytinyaで夕飯を食べました。このレストランでは、ギリシャやトルコからレバノンに至るまで、数え切れないほどの種類の食べ物やビールが用意されていました。私には、めったにお目にかかれない料理を試してみる貴重な経験となりました。

アンドレスは、自然災害の被災地で食事を提供している非営利のキッチンの創設者でもあります。ワシントンポスト紙によると「…私達の味覚を探求し、文化を形作ること」として、彼は2015年の国家人文科学賞を受賞しました。私たちはアンドレスが有名人シェフであることをまったく知らずにレストランを予約したのですが、この選択についてはラッキーだったと思います。(写真をご覧ください)

 

Zaytinyaの外で…(アーティストのアルバートペーリーによる彫刻)

 

私はDCで出会った人々にとても感銘を受けました。 評議員会は、1863年にエイブラハム・リンカーン大統領の承認を受けて設立された米国学士院(NAS)で開催されました。米国務省の向かい、コンスティテューションアベニューから少し離れたところにあるNASの建物は1924年に開館しました。そこで、NASのスタッフは、会場のすぐ外に準備された美味しいランチなど、会議に付随するいろいろな仕事を細かいところまで完璧に準備していました。

NASスタッフは、会議が始まった最初の夜に、1924年、NASの建築当時から存在する壁に囲まれた中庭にケータリングサービスを手配して、歓迎の夕食会を開催してくれました。そこでは、焼きサーモン、豚ヒレ肉のステーキ、スイカとミントのサラダ、野菜のグリルなどが提供されました。

会議でも非公式のレセプションでも、評議員には、辛抱強く話を聞いていただき、励ましの言葉をいただきました。 NAS、米国エネルギー省、そして日本の厚生労働省を代表するオブザーバーからは、私たちの広報活動を含む放影研の活動のあらゆる面について有益な助言をいただきました。

ホテルと会場の道すがら、街で忙しそうな若い労働者のグループを見て、日本で見かけるまじめな通勤中の人のことを思い出しました。リンカーン記念館とリフレクティングプール、ワシントン記念塔とホワイトハウスにいた多くの観光客を含めて、滞在中の一週間に友好的でない人には1人も出会いませんでした。(ただし、すぐにクラクションを鳴らす運転手たちは別でしたが。)

 

リンカーン記念館の階段から見たワシントン記念塔

 

一方で、現地は暑くて湿度が高く、ほとんど毎日午後には雨が降り、日本の梅雨を彷彿とさせました。皮肉なことに、私たちが6月23日に広島に戻ったときは晴天で、梅雨入りはまだ公式に発表されていませんでした。

広島に戻ると、マスコミの皆さんが放影研の移転についてのニュースを待っていました。移転は評議員会で今回も話題にあがった長年の課題ですが、残念なことに、今回は移転の可能性(時期、場所、予算)について昨年度の調査結果を報告するのみで、それ以上の展開はありませんでした。すなわち、移転するとしても、まだそれがいつになるかを申し上げるところまで行っておりません。

確かなのは、米国の首都がたくさんの写真撮影の機会(Twitterアカウント @RERF_Japan”、Facebookページ“Radiation Effects Research Foundation”を参照)と私の家族や同僚を感心させるお土産話を提供したことでした。私の妻は、それ以来、将来住んでみたいというくらい、ワシントンDCのファンになりました。

私も、それでもいいかなと思っています。

どうなるでしょう。

 

感動した光景