細胞遺伝学研究室

細胞遺伝学研究室の調査目的はニつあります。 第一は、被爆者リンパ球の染色体異常頻度と歯エナメル質のESR信号強度を調べ、それらの結果とDS86推定線量の関係を検証することです。
第ニの目的は、被爆者の子供の染色体調査を行い、両親の原爆被爆により子孫の染色体異常頻度が増加したかどうかを調べることです。

被爆者染色体調査

放射線が細胞に染色体異常を引き起こすことはよく知られており、染色体異常の発生頻度は放射線量に比例します。従って、ヒトの血液リンパ球中の染色体異常頻度は放射線被曝の信頼できる指標となります。広島、長崎両市の被爆者 約3,000人に対するこれまでの調査から、1945年の原爆放射線により誘発された染色体異常を持つリンパ球は、原爆被爆者の末梢血中に数十年間も存在し続けていること、また、このような染色体異常を持つ細胞の割合は放射線量の増加と共に増えていることが分かってきました。

この調査に使われた ギムザ染色法は、すべての染色体異常の ほぼ3分の2を検出できることが、これまでの経験から分かっていますが、それぞれの被爆者の推定線量と比べた場合、各被爆者の染色体異常データはかなり広い “ばらつき” を示しています。
この統計学的「過剰分散」は、原爆被爆時の位置・遮蔽に関する面接調査から生じた誤差、および DS86 線量自体の物理的推定誤差が含まれる可能性があります。あるいは、遺伝因子、被爆時年齢、性、喫煙といった生活様式などにより個々人の間に起こり得る放射線反応の違いから生じた誤差が含まれることも考えられます。また、染色体調査そのものの検査誤差も含まれるかもしれません。これら考え得る様々な因子について検討するためには、染色体異常以外の生物学的線量測定法を用いて線量を推定することが望ましいと長年考えられてきました。

歯エナメル質のラジカル(不対電子)を探知する電子スピン共鳴法(ESR法)は、過去の放射線被曝のもう一つの指標として数多くの研究所で使われてきました。
1995年、ESR測定装置が細胞遺伝学研究室に設置され、これまで被爆者から提供された300本以上の歯試料のうち約100本について調査が行われました。その結果、ESR測定値が歯試料提供者の染色体データと緊密な関係を持つことが分かり、ESR法が個人線量を推定する有力な方法であることが分かりました。これはまた、被爆者の染色体データの信頼性の確証ともなるものです。

現在、細胞遺伝学研究室では、放射線被曝量の推定のため、歯のエナメル質に関するESR法の他に蛍光in situハイブリダイゼーション法(FISH)を用いて原爆被爆者の染色体を調査しています。この方法は一連の操作により個々の染色体を異なる色で標識するもので、異常がある場合には一つの染色体が2色の染色体断片により構成されるので容易に検出できます。このFISH法は以前の方法と比べて、迅速かつ正確に異常を検出できます。

被爆者の子供における染色体調査

過去、通常の染色法を用いた広範囲な染色体調査が ほぼ 16,000人 の被爆者の子供(片方の親または両親が近距離被爆者の子供 8,000人 と、両親ともに遠距離被爆者から生まれた子供 8,000人)について行われました。
その結果、染色体異常を持つ子供の数は両グループで差がなく、またこの得られた結果は、世界各地の新生児集団で行われた染色体調査の結果とも差はありませんでした。子供に見つかる染色体異常(特に構造的異常)の中には遺伝性のものが多く含まれるため、新しく生じた異常かどうかを知るためには両親の検査が必要です。染色体異常を持つ人の半数以上の例については両親の検査が行われています。その結果、新たに染色体突然変異が発見されたのはそれぞれのグループで各1例ずつでした。従って、生殖細胞に対する放射線の影響は検出されませんでした。

戻る