ABCC-放影研の思い出

宅見 保 (運輸部、1949-1986年)

宅見 保氏

ABCC放影研40周年を迎えるに当たり、ここに保有する一枚の写真から、たどたどしい私の記憶を頼りに皆様と一緒にタイムトンネルを通って過去40年ごろまで逆戻りしてみたいと思います。

所は美しい瀬戸内海に面した旧陸軍凱旋館跡地で、昭和25年9月20日に撮影したABCCモータープール従業員一同の古い黄ばんだ記念写真です。この写真を見ますと、若き成年男女総勢103名が働いておりました。女子は2名だけであとは全部男子従業員なので男世帯の職場だと言われておりました。

1950年9月、旧陸軍凱旋館前で撮影した総勢103名の運輸部職員

モータープールの風紀規律は非常に厳しく有名でした。すべてアメリカ軍隊式であり、直立不動の姿勢で“Yes,sir”“Yes,sir”の毎日でした。当部には3係ありましたが、そのうちの配車係と整備係の一部を紹介することにしましょう。配車係としては、特に運転手の規則規律は厳格で、採用に当たって大型2種の運転免許所持者といえども、路上運転試験にパスしなければ職に付けませんでした。運よく合格し、採用されても部長サインが入ったABCC独自発行の運転免許証が必要であり、指定された車種のみしか運転することが許されなかったのです。また毎日の朝礼点呼はもちろんのこと、運転手立ち合いのもとで厳しい車輌検査があり、掃除、ガソリン、オイル、水、 タイヤ圧とこまごまとした点検を行って、一つでも不備な点があったり指先でホディをこすって少しでもほこりが付いたり、更にスピート違反を行うとグリースモンキーといって、車輌のグリース刺作業を3日から2週間実施する懲罰が、あるいは解雇が待っておりました。運転しないときは必ず自分の担当の自動車から一歩も離れることなく、ポロ布切れで自動中の隅々まで入念に手入れを行うのが日課でした。

一方自動車整備員といえども大変な毎日で、中でも一番困難な作業の一つは、ジープの完全分解整備を行うことでした。特にジープは四輪駆動なので、前後のハウジングや車輪、ボディ、エンジン、トランスミッションなど、発電機、スタータモーター等をバラバラにボルト、ナット、ネジ一本に至るまで分解点検して、数百点に及ぶ部品を再び元のジープに紺み立てることは大変なことでした。その反面、楽しみとしては、こうして完全整備された一台のジープに乗るロードテストがあり、広島市街地を走り、馬車や木炭自動車をスイスイと追い抜いて走り回ったものでした。

この写真で思い出すことは色々ありますが、最後に、初めて外国人で日本運転免許証の交付を受けたモータープール部長のMr.Mabieの話をしておきます。当時外国の方々は自国の運転免許証のみでよかったのですが、彼は記念に是非ほしいということで、彼と一緒に県警に同行してその旨を 申し入れましたところ、前例はないとのことでしたが、心よく受け入れられ、簡単な交通法規の口答試問だけで念願の免許証の交付を受けることができました。彼の喜びの姿が今でも目に浮かぶようです。


 

 

この記事は放影研ニューズレター14(40周年記念特集号):50、1988の再掲です。

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